『BOY A』監督:ジョン・クローリ

azamiko2008-12-30

(上記タイトルをクリックすると公式サイトより予告編がご覧いただけます)


かつて取り返しのつかない罪を犯した少年のその後の物語。
映画であって映画ではなく、しかし、映画そのもの。
希望を語ることが映画だから。
希望を継ぐことが映画だから。


この映画が、JACKの物語であり、
JACKとはごくありふれた名、少年がごくありふれたひとりであることを知るだろう。
JACKがずっと気にしていた自殺してしまった彼、少年Pの物語が語られることはあるだろうか。



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いよいよ年の瀬となりました。
ご厚情感謝いたします。
今年もさまざまな不義理を重ねたまま、来る年に持ち越してしまいます。
いつか、どのような形であれ、
どこかでだれかにお返しができて、回りまわって、本来お返ししなければいけない方々に、たどり着きますように。
幸いのありますように。




#『鉄塔倶楽部』 PHOT BY MS.BEE

『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』監督:マーチン・スコセッシ

azamiko2008-12-22



20代のころミック・ジャガーは、「60歳になっても歌っていますか?」というインタヴューに、「もちろん!」と答えていた。
そのシーンは映画の中にもあって、まさか、60でロックを歌っている?なんて、想像もしなかった。
たぶん、生のステージを見ていてもこれほどの迫力は感じないのではないか。
18台のカメラが撮影するニューヨーク、ビーコンシアター(収容人数2800人)
ステージから発せられるメンバー間の、観客とのパワーと興奮、超越したシャーマニズムのようなパワーの交換をスコセッシは撮影したかったのだという。
ミックのしたたかさもグループの要がキースであることもこの映画を見ていてよく分かる。








#グラダナのミュージッシャン

『反貧困〜「すべり台社会」からの脱出』著:湯浅誠

azamiko2008-12-19





世界には、貧しい人はたくさんいて、
日本の貧困はたいしたことはない。
社会保障があるではないか、
と、おもうひとは多いのかもしれない。


「富めるものと貧しい者が両極端に分化した不平等な私たちの社会は、いとも不思議な眼鏡を生み出し、経済的に上位にある者の目には、貧しい人々の姿はほとんど映らない仕組みになっている。
貧困層のほうから富裕層を、たとえば、テレビとか雑誌の表紙とかで、簡単に見ることができるのに、富裕層が貧困層を見ることはめったにない。
たとえ、どこか公共の場で見かけたとしても、自分が何を見ているのか自覚することはほとんどない」
    『ニッケル・アンド・ダイムドーアメリカ下流社会の現実』著:バーバラ・エーレンライク(P85)


ひとは見たくないものは見ない。
見えなくなってしまうらしい。
意識しないと見えない。反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
ホームレスは好きでやっているのだろうと思う方が楽だ。
ホームレスにとって町は戦場だと健次郎さんは語っている。
本書は困窮の実態と公的援助のうけにくさが貧困層を追い詰めていることを実例とデータで語る。



貧困は貧乏とは少し違い、「五重の排除*1 」によって追い込まれ著者は“溜め”とともに語る。


“溜め”とは、溜池の溜めであり、下界からの衝撃を吸収してくれるクッション(緩衝材)の役割を果たすとともに、そこからエネルギーを汲み出す諸力の源泉となる。(P78)


貧困とは溜めが総合的に失われ奪われている状態である。
三層(雇用・社会保険・公的扶助)のセーフティーネットに支えられて安定しているとき、あるいは自らの生活は不安定でも家族のセーフティーネットに支えられているとき、そのひとたちには”溜め”がある。
逆に、それらから排除されれば、“溜め”は失われ、最後の砦である自身と自尊心をも失うに至る。
“溜め”を失う過程は、さまざまな可能性から排除され、選択肢を失っていく過程である。(P80〜81)


溜めのない人をダシに、政府や企業が私服を肥やしているのだとしたら、国家ぐるみで貧困者を食い物にする「貧困ビジネス」に手を染めていると言われても仕方がない。(P95)


貧困ビジネス」の典型は軍隊だというのは周知の事実だろう。

貧困が大量に生み出される社会は弱い。
どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。
そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである。誰も、弱いものイジメをする子どもを「強い子」とは思わないだろう。
人間を再生産できない社会に「維持可能性」はない。
私たちは、誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる、「強い社会」を目指すべきである。(P209)

1998年以来三万人を超えてしまった自殺者。
世界不況はきっかけでしかなく、どういう社会を目指すのかということに尽きるだろう。




#『交ゼズ混ジラズ』PHOT BY MS.BEE

*1:教育課程からの排除 、企業福祉からの排除、家族福祉からの排除 、公的福祉からの排除 、自分自身からの排除

[美術]『ヴィルヘルム・ハンマースホイ〜静かなる詩情〜』@国立西洋美術館

azamiko2008-11-27



デンマークのこの画家を知るのははじめてです。
ハンマースホイの描く部屋は彼の内部そのもののように感じます。
建物は肉体の暗喩であり、ローマを旅したときに唯一描いたという『ローマ、サント・ステーファノ・ロトンド聖堂の内部』の不規則な円柱や『室内、ロンドン、ブランズウィック・スクエアの眺め』の窓枠をみていると私たちは、だれも肉体の檻からでることはできず、その内部の風景を意識させられます。
風景画は少ないものの丘陵とリズミカルな雲の浮かぶ空『ライアの風景』に、檻から出た開放感を感じました。


彼もまた、肉体の内部の風景をみていた幻想画家なのだと思いました。
12月7日まで。

『山下陽子展“エチュード ――ポートレイトに潜む夢”』@啓祐堂ギャラリー

コラージュのオブジェ作品。書物の形をしたエチュード
展覧会の説明には


中世末期、王侯貴族たちが書き物机と書棚などを中心に揃えた小さな部屋(書斎)を「エチュード」と呼んでいたことから想を得て、本をかたどった小箱の中にさまざまな作家たちのポートレイトとともに夢の断片を閉じ込めた作品シリーズ。


ゲーテ、ドストエーフスキー、カフカジョルジュ・サンドバージニア・ウルフ、マルセル・プルースト…etc。
作家たちのポートレイトと想像上の書斎をイメージして、書物の形をした額の小部屋に収められているコラージュ作品。
山下陽子らしい手仕事です。24日まで。


あふれ出す作家のイメージ。
幻想とは、現実にないものを思い描くことですが、クリエータの頭の中にあるあふれ出すイメージは、希求する何かを求めて、リアルに迫ってきます。





#『日時計ノ短針長針ヲツクル』PHOT BY MS.BEE

『東逸子ーVANITAS・VERITASー儚きものたちのコレクション』@SAギャラリー

azamiko2008-11-24




絵本「翼の時間」「月光公園」など独特な幻想世界を描く東逸子さんの個展。
東さんが個展をされることは珍しく、原画を目にするのを楽しみにしていました。
近作を中心にエッティング、水彩など。[rakuten:mikihouse:10001656:image]

柔らかく、繊細なタッチは肉体を描いていても体温を感じさせない硬質なものです。
宗教画を思わせる作品が多い一方、肉体を宇宙になぞらえた2008年作『イデア』にとても魅せられました。
17日に始まって、18日には、すでに赤いシール(売却済み)がかなり貼られていて、マニアの多いのが伺われます。29日まで。