『岡鹿之助展』@ブリジストン美術館

azamiko2008-06-30

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変電所や灯台、城、教会、掘割、パンジーなど、静謐な時間を感じさせる岡鹿之助の絵に心魅かれていました。
その多くが雪の風景で、時間が止まったような、具象でありながらどこか現実離れした絵の世界。
今回の展覧会で岡鹿之助というひとを少し知ったように思います。

[1898−1978)は、劇評家の父を持ち,中学二年から、芸大の先生に絵を習うという恵まれた環境にありました。
しかし、芸大に進学してからは、アカデミズムに反発して学校に行くことも少なく、描く絵は教師から評価されるものではなかったようです。
渡欧して、戦前、戦中、戦後を通して、絵を学び、パリの画壇でも画家として名声をうるようになりました。
異なった色を並置してゆくスーラの「視覚混合」による点描とは違い、同系色を並置してゆくことによって、絵の質感や密度(マチエール)を高めるという点描は、独自に生み出されたものだとか。
第二次世界大戦に先がけて日本政府の帰国命令により帰国してからは、花の絵などを描きながら疎開することなく、空襲から絵を守るため東京に居住していました。
戦中に描いた「地蔵尊のある雪山」(1943年)は、岡の絵には珍しく、お地蔵さまの小さな祠のあるわずかに日本の風景とわかる雪山です。
岡の絵には珍しく、OKAではなく、鹿とサインされています。
彼の作品が、具象を描きながら、どこか非現実的な世界を思わせることを思えば、お地蔵さまの小さな祠とサインは、戦中の日本の現実への精一杯のスタンスのとりかただったのでしょうか。
ただ、静かな非現実の世界を描いていたと思っていた岡の作品のなかに、1959−61年、戦後の復興期の作品に群落や廃墟、俯瞰した建物だけを描いた作品をみると痛々しさを感じます。
彼の絵の多くは、白い雪に覆われています。
それは、けっして穏やかな雪の世界ではなく、現実を覆って、非現実に変えてしまう装置だったのかもしれません。
また、人物を描きこむことがなかったことも非現実の世界を感じさせるのでしょう。
しかし、戦時中から好んで描いたパンジーなどの花の絵は、動きと表情があり、身近なものへの視線を感じさせます。


収蔵作品から岡鹿之助と交流のあった藤田嗣治や岡の愛した画家アンリ・ルソーの作品も展示されています。
すいていたこともあって、充分楽しむことができました。