夏休みだより1〜無言館、信濃デッサン館

azamiko2007-08-06



思い立って、信濃デッサン館無言館のある長野県上田市に行って来ました。


電車でいく場合
東京からなら新幹線で上田まで1時間半、そこから別所温泉線に乗って、塩田町に着くとシャトルバスがあります。
シャトルバスは一日6本なので、要チェック


中央線で頻発する、人身事故。
この日も新宿で人身事故あり。


シャトルバスと連絡していない時間に塩田町についたので、歩くことに。
2300M、たいしたことはないと思ったのですけど・・・(^-^;
塩田平は盆地で、とても暑いのです。
民家の点在するあたりから、田畑や池、神社をこえ、山道になるといよいよ熱暑がこたえ、歩くこと35分、無言館の表示にほっとしたのもつかの間・・・(ここまでが2300M)
そこから、無言館の建物のある、小高い丘の上までの急坂にへとへと(汗)
でも、今思うと歩いたことはよかったのです。
それに意外と回復力があるのです。私。


無言館の内部は意外に広く、来館者も50名ほどいました。
戦没画学生(画学生に限らず、画家を志したひと)たちの絵は、未熟なものを残しています。
充分に学ぶことができないまま、学徒出陣した場合もまた、画家で生活できるという社会状況でなかったということもあるでしょう。


かわいがってくれたおばあさんを描いた絵。
身近な風景を描いた絵。
燃えあがる軍艦。
戦地から送られてきた手紙に描かれた南の島の兵舎。
帰ったら続きを描くと出征間際まで描き続けた恋人の絵。
想像上の裕福な一家団欒の絵。
剥落の激しい油絵もあります。


遺族の短いコメントが付されていて、いっそう絵と作者への関心を身近にさせますが、絵本来の鑑賞からすると、遺族のコメントは必要ないものかもしれません。
しかし、未熟さを補ってあまりある絵に込められた作者や遺族の思い。
作品のできばえより以上に、絵を描くまなざしや遺族の思いを意識させるのが無言館です。


館外にはパレット形の戦争で亡くなった画学生たちの名が記された慰霊碑があり、数年前、この記念碑に赤ペンキをかけられるという事件がありました。赤ペンキの一部を残すという形で修復されていますが、誰によって、なぜ赤ペンキがかけられたのか、悪意によるものだというだけではすまない複雑な思いにかられます。


無言館から10分ほど歩くと、前山寺の参道入り口、本館に当たる信濃デッサン館、近くには槐多庵があります。
まずは、ほてった身体を冷やすべく、カフェへ。
塩田平の一望できる広い窓際で、あずきのタップリ入った宇治金時でひとごこち。おいしかったわ〜!


信濃デッサン館は、昭和54年窪島誠一郎氏によって蒐集された村山槐多、関根正二靉光松本竣介、野田英夫など夭折した画家たちの素描を中心にしたコレクションですが、資金難から休館を発表して以来寄せられた寄付によって、改修、エゴン・シーレウィリアム・ブレイクの版画も加え、7月から再オープンしました。


小さな美術館ですが、作品のもつ初々しさと痛々しさと・・・。
何より忘れられない20歳で亡くなった関根正二の自画像、村山槐多の奔放なタッチ、エゴンシーレの肉体のぎこちなさや、小熊秀雄の素描に出会えたのも幸運です。


無言館、デッサン館、槐多庵それぞれに、ロケーションも含め建物の独特な雰囲気にも魅かれます。
磁場のように引きつけられ、またきっと、行くだろうと思います。


9月16日、天満敦子のヴァイオリンコンサート@無言館
10月14日、信濃デッサン館主催の薪能「秋櫻能」@前山寺



【コメント関連URL】


無言館の窪島誠一郎氏の講演を聞いて: BIN★の「この記なんの記」




#槐多庵