『善き人のためのソナタ』監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

azamiko2007-04-13



(ネタばれしています)

「生む機械」という柳沢厚生大臣の暴言が問題になったばかりだが、これは機械化される人間の抵抗の物語である。
旧東ドイツに綿密な取材をしたドラマということだが、このまま信じてしまうのはナイーヴにすぎるだろう。
しかし、人を機械化しようというリアルさは描かれている。


旧東ドイツ、国家保安省(シュタージ)のヴィスラーが反体制の疑いで劇作家ドライマンと恋人の女優クリスタの生活の一部始終を監視、盗聴しているうちに、彼らに感情移入して、任務である国家反逆罪の証拠であるタイプライターを隠滅する。
以降、彼は東西の壁が崩壊するまで暗い地下室で手紙の検閲をすることに・・・


シュタージ(=公安)はひとを機械化するシステムである。
人間を機械化するのに、表現の自由言論の自由は禁物。

ドライマンたちがしようとしたことは国内の自殺者数を西側のメディアに知らせるということだけなのだが、それが国家反逆罪になるという。
自殺者数は社会と相関関係があるというのは、世界的には一般的な認識だということだ。
先進国の中でも最も多い、年間三万人の自殺者のいる日本は、そのことをもっと考えなければいけないのではないだろうか。


ドラッグの常用者であるクリスタはアイドルであると同時に生贄である。
クリスタの屈折した感情と引き裂かれた行動も、ルコントの『仕立て屋の恋』イールの孤独を思わせるヴィスラーの恋もこの映画のもう一方のテーマだろう。


ちょっと、タイトルが・・・と思っていたが、ドラマの中でドライマンの弾くベートーヴェンピアノソナタ第23番<熱情>第1楽章は「善き人のためのソナタ」と呼ばれているらしい。
レーニンも「べートーヴェンの熱情を聴くと、やさしい気持ちになってしまう」と戒めていたという。
その曲を監視、盗聴する中で聴いたことがきっかけでヴィスラーは感情に目覚めたというと、ドラマとして出来すぎで、音楽原理主義にもなりかねない。
ポランスキーの『死と乙女』を思い出すまでもなく。
むしろ、シンボリックにつかわれているというべきだろう。★★★★


はたして、浸透しつつある機械化に私たちはどこまで抵抗できるだろうか。