『六ヶ所村ラプソディー』監督:鎌仲ひとみ

広い畑に色とりどりの風に揺れるチューリップ。
田んぼの稲に語りかけながら雑草を抜いているおばさん。
保育園の子どもたちに届ける無農薬の真っ赤なトマトをもいでいるおにいさん。
歌いながら、おしゃべりしながら、乾いた昆布を鋏で切りそろえている老人たち。
風力発電の巨大な羽根が日本海から吹き込む風「やませ」にまわっています。


下北半島のこの光景は、NHKのドキュメンタリー番組「新日本紀行」そのものです。
全国55箇所の原子力発電から出る核廃棄物を再処理する核燃料再処理工場に悩む姿さえなければ・・・。


日々電気を使い、望むと望まざるにかかわらずその3分の1が原子力発電により供給されているという事実は、この地の人びとの苦悩にだれもが責任があるということですね。
150mの煙突。
海岸から2〜3km先まで延ばした配水管。
そこから排出される放射能は大気に拡散されるから、海には十分な浄化能力があるから大丈夫、なんて気休めでしかありません。
海も空も繋がっている、地球は廻っている。
安全ならば、漁業権を買い取る必要もないはずですね。
放射能が危険なのは日本人ならだれでも知っている。
それでも、そこで働くほか、仕事のない地元の人たち。


かつて海水浴客で賑わったイギリス、セラフィールズの例は貴重な経験であるはずなのですが。
地域の子どもたちに白血病が多発し、再処理工場が閉鎖されました。
通常の10倍ある放射能の濃度の海はまさに死の海。
それでも、六ヶ所村の排気、排水量の2分の1だとか。


原子力は安全、クリーンなエネルギー。
資源の乏しい日本には必要不可欠。コストも安い〜
それが原子力発電の謳い文句です。
樋口健二報道写真集成―日本列島’66‐’05
しかし実際に、天然ガスや石炭の方が安く、安全でもクリーンでもなく、下請け、孫請け労働者が、被爆している労働現場であるという事実はフォトジャーナリストの樋口健二さんもレポしています。
京都議定書にサインし、CO2を削減するためにも原子力は必要だと言われていますが、原発も石油で稼動していることに変わりはありませんね。


工場は労働力の安い海外に進出し、エネルギーが余っているというのも聞きますが、エネルギー政策の95%が原子力に費されているというのにびっくり!
可能性を追求する研究を否定するつもりはありませんが、風力、太陽光、地熱などの自然からのエネルギー政策に転換するべきだと思うのですが。


石油の代替エネルギーとして、注目されるトウモロコシやサトウキビを原料としてつくられるエタノールを本来食料となりうる部分からでなく、その滓や樹液から抽出する製法をホンダが開発し、実用化されるという報道を耳にしました。
資源の乏しい日本にあって、将来的なエネルギー政策を、危険な原子力ではなく、本当の意味で安全でクリーンなエネルギー政策に、一企業だけではなく国レベルで取組んでほしいとつよく思います。


土本典昭―わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録 (人間の記録)
ポレポレ東中野、上映前に、土本典昭さんと鎌仲さんとのトークショーがありました。
土本さんがまず言われたことは「東京は情報過疎だからね」
「地方のことは東京にいたらほとんど分からない」
チッソの廃液を海に流し続けていたにもかかわらず、猫が狂い死ぬのも、住民に脳障害が多発するのもチッソの影響ではないと言い続けていた会社側ですが、その深刻さをみんなが知ったのは、胎児性患者が知られるようになってからです。
土本さんが水俣を映画に撮ったのは、全国紙で報道されて4年後、ほとんど報じられることがなくなり、人びとの記憶から忘れられ、水俣病は終わったと思われていたころだといいます。被害を撮るということは、そこから差別を生むというジレンマに立たされることでもあります。
だから、この地で生きる人たちが撮らせてくれたことに感謝していると鎌仲さんは言われました。


このドキュメンタリー映画を観た人は必ず自分の問題として原子力発電、核廃棄物再処理工場について思い巡らすだろうと思います。


ほんの2・3日前、「原子力は資源の乏しい日本には、必要不可欠で安全・クリーン」だと新聞の全面広告にありました。
昨日は「原子力の日」をテーマに子どもたちの描いたポスター展の電車の中吊り広告をみました。
もしや、『六ヶ所村ラプソディー』を封じ込めるため、宣伝費をかけてキャンペーンをしているのではなかろうかと疑り深い私は思うのです。