写真

azamiko2006-05-30

ここに一枚の写真。光沢の下ですでに退色しはじめた、セピア色に近づきつつある手のひらサイズの写真がある。
そこには、ドカンのような遊具の上に佇む私。
季節は冬だろうか。朝の光のような陽射しを受けて直立している私はカメラに向かって緊張しながらも、微笑んだのかもしれない。毛糸のワンピースは幾分短めで健康な、少女の太腿、膝の窪みまでがあらわになっている。
写真の裏に、翠、3才。
枯れ芝となった遊具の点在する公園を思わせるそこは、少女の遊び場だったのだろうか。
写真を目にするたび、翠は記憶の底にあるものをたぐり寄せようとしては、絡み合って薄らぐ、手に届かないもどかしさに苛立つのだった。
いつしかこの少女が3歳の翠として、自分の中にとうぜんのように棲むようになってからも。
しかし、この写真が翠に、特別な不安感を抱かせるのには他にも理由があった。
石のドカン状遊具に登るために設えられた木の階段の一番高い部分に一人の女性が立っている。和服を几帳面 に着てショールを左手で 押さえ、ゆるいウエーブのかかった頭髪は女学生を思わせるようにヘアピンで押さえられている。少し前かがみの姿勢は少女がバランスを崩したら、いつでも助けようとしているかのように袖から細く、白い腕が覗いている。
しかし、何故か、彼女の顔は曖昧だ。朝陽に照らされてぎこちなくも微笑む少女に比べ、和服の女の顔は、いかにも不安げで、焦点が外れたように影を帯びている。
そんなぼやけた表情にもかかわらず、彼女が凝視しているものがドカンの上の少女であることは疑いようがない。
「この人、だ〜れ?」
何回かそんな質問をしたはずだった。
「え?・・・さあ、誰かしら?」こんな曖昧な返答があるだろうか?
いつしか、返ってくることのない、答えのない質問を翠はしなくなっていた。
この写真とともに、蘇る体感がある。
ふいに蘇る体感は、はたしてこの女性のものなのだろうか?
抱きすくめられ膝の上に乗せられて、白い指で剥かれる銀紙をみつめている私。後ろから寄せられる温かい頬の感触。柔らかい息づかい。ほのかに香るお白粉。

しかし、この記憶には顔がない。これが誰なのか、いつなのか。まるで、首なし人間に抱かれていたかのように。
夢なのか。
そして、とうに、和服の女の年齢を越えてしまった翠には、体感以上に首を探すことの執着がいつしか無くなっていた。