『中浜哲とギロチン社群像』講師:正津勉

14日、「トスキナアの会」第三回講演会に参加。
時間を間違えて、早く着いてしまったので、近くの東禅寺を散策。
ここは、絞首刑で亡くなったアナキスト中浜哲古田大次郎が散歩した閑静な寺。
会場を高輪福祉会館にしたのもふたりに謂れのある東禅寺がとなりにあるという配慮からとのこと。


大逆事件をはじめ、大杉栄伊藤野枝アナキストであったがために裁かれ、あるいは官憲によって殺されたという歴史の事実は知っていても、同時期、他にどういう人たちがどういう形で殺されていったかということは知らなかった。
特に、中浜哲は活動資金、生活資金目的の恐喝以外犯行がなく、絞首刑が思想を裁くものであったことは明らかだ。
彼らの姿が、80年を過ぎて、共謀罪という現実とともに、浮かびあがってくる。
私のうちに、かつてアナキズムに対して危険という洗脳が根付いていたことも意識させられた。
死んでいった人たちを血肉化することで、今の私を照射することもできるはずだ。


正津さんの講演は中浜哲(富岡誠)の詩に対しての評価にはじまる。
虐殺された大杉栄への追悼詩『杉よ!眼の男よ!』が自己を客観視し、カリスマである大杉栄を対等の位置に据え、自己の行く末までも見通した、どのような追悼文も及ばない、今も決して古びていない傑作であると。
彼が詩を専門にしていたならば、傑出した詩人になっていたはずだと惜しまれる。

重い蓋が持ち上がり、詩を読む補助線を引いて戴いた気がする。
私の好む〈反射するカメラ〉絞首刑の判決に対し控訴せず、刑の執行を即座に望んだという独房でつくられた5篇の詩については、触れられなかった。


『杉よ! 眼の男よ!』と
俺は今、骸骨の前に起つて呼びかける。

彼は默つてる。
彼は俺を見て、ニヤリ、ニタリと苦笑してゐる。
太い白眼の底一ぱいに、黒い熱涙を漂はして時々、
海光のキラメキを放つて俺の顔を射る。

『何んだか長生きの出來さうにない
 輪劃の顔だなあ』

『それや――君
 ――君だつて――さう見えるぜ』

『それで結構、
 三十までは生き度くないんだから』

『そんなら――僕は
 ――僕は君より、もう長生きしてるぢやないか、ヒツ、ヒツ、ヒツ』

ニヤリ、ニタリ、ニヤリと、
白眼が睨む。


・・・・以下青空文庫:富岡誠をご覧ください。




東禅寺