『白バラの祈り〜ゾフィー・ショル、最期の日々』監督:マルク・ローテムント

azamiko2006-03-18

(映画の内容に触れています。未見の方は気をつけください)
内容は知っていました。暗い気持ちになって、落ち込みそうで、あまり行きたくなかったのですが。
それでも観ようと思ったのは、主演女優の『ベルリン、僕らの革命』のユールを演じたユリア・イェンチがどのように演じているのか、ちょっと興味があったからなのと、暗い時代の空気に同調したからかもしれません。
ユリア・イェンチの鬱屈した表情から突き抜けた存在感が印象的だった前作どうよう抑制の利いた理性的な表情がかつてのシャーロット・ランプリングを思わせます。


反ナチ活動でギロチンにかけられる女子学生というと、彼女がとんでもなく、すごいことをしたように思われるかもしれませんが、ゾフィーがしたことは兄とともに自分の通う大学で反ナチのビラを廊下に置いたことと3階からビラを落としたこと。(映画のこのシーンはとても緊迫感があります)
すでに言論の自由のなくなった社会で、それだけのことがどんな罪になるかというと国家反逆罪。


言論の自由のない社会が恐ろしいことは誰でも知ってはいますが、自衛隊宿舎の郵便BOXにビラを入れただけで逮捕・拘留されてしまう現実や共謀罪を成立させようとしている日本を思うと決して他人事とは思えません。



建築物が印象的に、内面描写になっているのもこの映画の特徴です。
高い天井を通して降り注ぐ柔らかい光を振り仰ぐゾフィー
監房の高い窓から空を見上げ、光を求めて伸び上がる冬に咲く植物のように。
花をもぎ取るかのように刑は執行されます。


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ヒトラー〜最期の12日間』のエピローグで、ヒトラーの秘書だった女性が、当時同じ21歳のゾフィーの存在を知り、自らの罪を意識したという告白をしているそうですが、残念ながらその告白の言葉は記憶に定かではありません。
死を目前にし相、対立するゾフィーヒトラーの最期の日々は、いくつかのシーンの他は死んでいったという事実だけが鮮明で、なぜかリアリティーをもって感じられないのは、あまりにふたりが私とはかけ離れた存在に思えるからでしょうか。
しかし、映画の最後にうつし出される実在のゾフィーの数枚のスナップ写真は、映画があたかもイントロだったかのように、なまなましく笑いかけてきます。


え〜、いきなり話しはかわりますが、日比谷シャンテシネは今まで好きな劇場だったのですが、座席指定になってから、あまり好きじゃない劇場になってしまいました。
座ってみなければその席がいいかどうかなんて分からないし、前に背(座高?)の高い人が座って観にくくても、空いた席に移動しにくくて困ります。
座席指定は、客のためというより、座席を管理したい劇場の都合なのでは?
他に何か理由があるのでしょうか。けっこう手間だと思うのですが。
もしかしたらひとりで観に来る男性客のため?
自由席で空いている席に座ろうとすると、隣の女性に警戒されるとか(?)