『散歩する惑星』監督:ロイ・アンダーソン

azamiko2006-02-22

(映画の内容に触れています。未見の方はお気をつけください)
久しぶりに面白い映画を観ました!
スウェーデン映画『散歩する惑星』です。2000年カンヌ国際映画祭 審査員特別賞受賞

最近、映画館で映画を観ると必ずといっていいほど、眠ってしまいます。
比較的最近観た映画『愛より強い旅』『瘋癲老人日記 』『オリバーツイスト』それぞれに面白かったんですが、ちょっと眠ってしまいました。

散歩する惑星』は公開当時、一部で話題になっていたにも関わらず、単館上映の上、すぐにレイトショーになってしまったので観ていなかったのを、ビデオショップでDVDを見つけました。
ヘンな映画だとはきいていましたが、やっぱりへんな映画でした。
しかも、それが魅力です。
この映画世界のテンションの低さったらありません。諦観が横溢しています。不幸が目白押し。
と、ある街。登場人物の多くは老人で、幾人かの老人のお話が交錯します。
が、ひとつひとつのシーンは絵そのもののように不思議な魅力に溢れています。
例えば、自分の店に放火した太った老人が、顔もレインコートも煤だらけになって電車の中央に立っています。そのショットの瞬時あとには彼のまわりの乗客たちがいっせいにこちらを向いて歌いだすのです。全く、なんの前ぶれも脈絡もなく、歌いだすのですが、なぜか、それだけで納得してしまえるところが不思議。何かを超えているというか。ブラックユーモアのようで、シュール。
また、こんなシーンもあります。
汽車から降りる時に扉に手を挟まれた男性が悲鳴をあげています。周囲にいる人たちはなぜか、それを見物したまま、黙ってみています。そのうちだれかが、運転手が気がついて開けてくれるからしばらく我慢するように言います。男は悲鳴を上げ続けています。運転手が気付いて扉を開けて、男は事なきをえるのですが、見物人たちは、手助けするわけでもなく、私も挟まったことがあるとかいうばかりで、終始観ているだけで、これは一体なんなんでしょう。
窓から鈍い光の差し込む食卓に向かって、女が笛を吹いています。しかし、笛を支えて指使いをしているのは後ろにいる男。なんともやるせないメロディー。こんなシーンが前後の脈絡なく、挟まっています。
最後のシーンも秀逸です。
空港の長いカウンターに職員たちがずらっと並んで、立っています。
そこに向かって、開けられた扉から、カートにトランクを満載した男たちが、カートを押したり、引っ張ったりしながら、何台も懸命に近づこうとしています。彼らはみんなこの街を捨てて、どこかに逃避しようとしているようなのです。

この映画が地球の終末を描いていることが分かりますが、その諦観とブラックユーモアの底から、人間の日々の営みへの慈しみが感じられ、ほのかな光が差し込んでくるようで、何ともやるせない気持ちになってしまうのはわたしだけでしょうか。
ビデオショップの片隅で見つけたら、ぜひ、ご覧くださいませ。