夜能〜『腰祈』(狂言)『大般若』(能)@日比谷シティー広場

日比谷の高いビルに囲まれた中に掘り下げられて低まった広場に能舞台は設えられていた。ここからは月は見えない。ビルの窓まどから室内の明かりがこぼれる。
会場は仕事帰りの人たちや愛好者でほぼ満席。1000人以上はいたと思う。たまたま一段高くなっている客席だったのでステージからは遠かったけれど正面で、よく観えていい席だった。
夜空を切り裂くように響く能管はとてもよかった。一噌幸弘さんの能管、田楽笛、篠笛はヴァイオリンやベース、タブラなどのセッションで何度か聴いているけれど、本来の能舞台の笛方として聴くのははじめてだった。ちょっと、腺病質タイプの一噌さんには能の笛方の方が似合っている。ビルに埋もれた夜空の下とはいえ、外気を震わせて伝わってくる笛の音は、ロケーションの妙もあってとても心に沁みた。
野村万作、萬斎親子の狂言『腰祈』は厳しい修業から帰った若い山伏の孫と訪問を喜ぶ祖父とのお話で、ひとかどの自信を得た孫といつまでも子ども扱いする祖父とのやりとりがなかなか可笑しい。ふたりのよく通る声。腰が曲がって杖をついて歩く姿がとてもリアル。
『大般若』は唐の時代、玄奘三蔵が7回生まれ変わって経典を求め天竺(インド)をめざしていると、行く手を阻む流沙の手前で大王に出会い、今までに、いつもここで命を落としていたのは大王の仕業だったことが告げられるが、大王は玄奘三蔵の望みをかなえ、経典600巻を授け、経典は唐にもたらされるというお話。この玄奘三蔵孫悟空三蔵法師のモデル。
この流沙というのはタクラマカン砂漠のことで、水の一滴もない砂漠を意味するのだけれど、能では『深い淵のある大河』として大王は水底に住む大龍神になっている。(解説書による)
経典を授ける前に天女がふたり現れ、般若の面をつけた竜神も二人現れる、その頭の上には龍をかたどった板のようなものを立てている。能が終わって、すごすごと帰る姿を後からみていると板の竜が揺れてちょっと笑えてきた。ってミーハーですみません。m(__)m
私が能に魅かれるのは、主に能楽にあります。本来はストーリーがあって、それを盛り上げるための音楽ですが、むしろ、私にとってはお話や舞いは能楽を高めるためのものに感じられます。それも、初心者ゆえということかもしれません。
能舞台の空間で繰り広げられる極度に様式化した舞いと物語の高まりの中で奏でられるゆさぶられるような能楽のきわみに、音楽のエクスタシーとカタルシスとを感じるというのが、今の私の能の楽しみ方です。ミーハーですみません。 m(_ _)m




#日比谷の交差点で。ビルの陰に月。


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新藤兼人監督、観世栄夫主演『本能』1966年制作。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21992/