『1000年刻みの日時計 牧野村物語』監督:小川紳介

azamiko2005-07-26


もう、残念としか言いようがありません。どうしてもっと早く観なかったのかと後悔しています。
24日日曜日の15:30からの上映は『1000年刻みの日時計 牧野村物語』の後編で、前編はすでに終わっていました。そればかりではなく、この日でneoneo座で上映されていた『小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事』の全プログラムは終わったようです。この作品が小川プロとしての最後の仕事だったとのこと。
この作品一本をみただけで、いわゆるドキュメンタリーにとどまらない日本のすぐれた映画のあらゆる要素がちりばめられているように思いました。
13年という歳月を山形県牧野村に住んで撮影された映像からは、掘り起こされた村の歴史や日々の生活、人びとの表情がそのまま伝わってきます。これはカメラの視線がそこに生活している人の視線と同じ地平にあるということ、加えてカメラを引いたところからパノラマのように展望している視線があるからではないかと思います。映画を穫る―ドキュメンタリーの至福を求めて
道祖神にまつわるドラマ。
畑を掘り起こして出てきた石器、櫓のあと、眠っていた時間が掘り起こされるように、その黒々した土の匂いとともに1000年前に繰り広げられていた人びとの現実の手触りが蘇ってきます。
農民一揆にまつわるお上に打ち首に処された庄屋の伝説を一流の俳優たちと村人たちで再現する挿入劇は時計の針を巻き戻し、現実と虚構が絡み合って歴史を記録するという形で、現実の村を動かしてゆくような力を感じます。
音楽は富樫雅彦。天才ドラマーのすばらしいドラミング。スピリチュアル・ネイチャー (紙ジャケット仕様)

上映後のプロデュサーの伏屋氏と鈴木志郎康さんのお話がありました。
記憶に残っていることだけですが。もっと、大事なことがあったような・・・。
・学生、三里塚、山形の村の生活と大きく分けると3つの分類される。
・小川プロの作品は現実を動かしてゆく強さがある。撮影していることで、現実を動かす力も獲得する。
・現実も幻想も等価である。
・富樫さんは小川さんが24時間寝ずに口説いた。
小川紳介の批判の大きな部分はスタッフ論、ヒエラルキーへの批判である。
・55歳で1992年に癌で亡くなった後には1億数千万円の借金が残された。当時、文化庁の助成もなくデジタルではなく、フィルムで撮っているので今とは比較にならないほどの金がかかった。ドキュメンタリーとしては莫大な金額。
・死の3ヶ月前に撮影された台湾の映画監督ウイ・フォンとのインタヴューがある.
(今後の上映が楽しみです)


山形国際ドキュメンタリーフェスティバルは小川プロなくしては存在しなかったかもしれませんね。

残念と思っていたら、アテネフランセで下記のような上映が予定されています。この機会に可能な限り観ようと思います。

小川紳介土本典昭

2005年8月11日[木]-8月20日[土]日曜・月曜休館/8日間
http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/2005_08/OandT.html