『ベルリン、僕らの革命』(ネタばれあり)

土曜日、外出のついでに渋谷ル・シネマの最終回で観ました。1〜2割の入り。
ドイツ映画は久しぶりです。女囚たちがバンドを結成、逃避行映画『バンディッツ』、ケストナー原作の『飛ぶ教室』以来でしょうか。バンディッツ [DVD]
停滞気味だといわれていたドイツ映画も元気を吹き返してきたようです。『グッバイ・レーニン」は未見ですが、こちらも評判良かったですね。グッバイ、レーニン! [DVD]
パンフレットは買わなかったので、詳しいことがイマイチですが、なかなか面白かったです。
タイトルは邦題ですが、ある意味でこのタイトルは原題(『ザ・エデュケーター』)よりも映画の内容を表しているとも言えます。つまり、「僕らの革命」は社会的な、外に向かっての革命だけではなく、「僕たち自身の革命」でもある。
ユールを演じたジュリア・ジェンチはとてもいい演技をしていますが、鬱屈した役どころに最初の方では、なんとも釈然としない気持ちになります。彼女の行動がたびたび窮地を呼び込む結果になってしまうんですが、これって恨みでもあるの?と本を書いた人に言いたくなってしまう。彼女ばかりが失策してしまうんです。
ユールによって、仕事仲間は失業し、長い友情で結ばれていた二人の男の関係が壊れてしまいそうになります。誰だって、この映画を観た人はユールを困った女と思うでしょう。
「困った女」というより、「女」というのは困ったものだと・・・思わない?
被害妄想になっているでしょうか(笑)?
ま、とりあえず、冷静に、ひとまず硬いことは言わないことにして(笑)
二人の男と一人の女、こういう映画はよくありますが、ひとりの女を挟んで、不思議なバランスで三人の関係は保たれる。いずれ破綻してしまうことがみえているような男と女、1対1の緊張関係では終わらない、同志的な結びつきとして、恋愛も友情も超え、新たな段階へ向かうかのようです。ここに至って、災いを呼び込んでしまうユールは不思議な聖性を帯びてきます。だからというわけなのでしょうか(笑)?
そして、最後の部分は、二つの解釈が可能だと思います。
警官たちがやってきて、もぬけのからになったアパートの一室に貼られてあった「おまえたちは一生変わらない」という「おまえたち」とは?警官のことなのか、エデュケーターたちと心を通わしたはずの元反体制活動家だったブルジョアのことなのか?
これが、もし、警官のことを指しているのだったら、あまりに浅薄です。しかし、ブルジョアのこと、あるいは両者を指しているのだとしても、それは陳腐です。
つまり、こういうパターンの映画は決して少なくはない。
作者の意図はともかくとして、どちらにしても充分とは思えません。警官やブルジョアを通して私たち観客に向かっての告知であり、彼ら3人がすでに同じ次元に存在していないかのように眠り続けている最後のシーンは、この物語が夢でしかなかったのだということを告げているようにも思えてきます。「ハレルヤ」が印象的に流れます。
監督:ハンス・ワインガルトナー 126分


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