『そして私たちは愛に帰る』監督:ファティ・アキン

(内容に触れています。未見の方は、お気をつけください)


ドイツとトルコを舞台にトルコ人の父と息子、トルコ人とドイツ人の二組の母と娘の物語が同時進行的に、接近し、交差し、繋がってゆく。
カンヌ映画祭で最優秀脚本賞を受賞したよくできた脚本です。

二組の母と娘は、偶発的な事故によって、それぞれ母と娘を失う。
親と子は、それぞれの隔絶をもちながら、死を回路につながってゆく。


最後のシーン。
漁に出た父の帰りを浜辺で待つ息子ネジャットの後姿。
反目のときを隔てて、父の元にやってきた息子は、時化の海から帰ってくるはずの父を待っている。
息子と父は和解の時を迎えるにちがいないと、映画を見ているときには疑いもなく思った。
しかし、父は、不慮の事故で亡くなるのを暗示しているようにしか今は思えない。
時間が止まったように父を待つ長いエンディング。
帰らない、ということだろう。


母と娘がどちらも一方の死にあうことを思えば、彼らもまた、一方が亡くなり、現実の困難さを描いているとしか思えないのだ。
それだからこそ、いまという時を大切に、向き合うことをメッセージしているのにちがいない。
映画の中の彼らはそれぞれお互いを受け入れていたのだから、和解の物語であるのは確かなのだけれど。
いつでも、肉体は逝ってしまい。思いは遅れてやってきて・・・。


説明不足やリアリティーを感じさせない部分がいくつかありましたが、十分楽しめる映画です。
娘を失うドイツ人の母が年をとったヒラリー・クリントンのようで、ハンナ・シグラであるのを知りましたが、隔世の感があります。


原題については粉川哲夫のシネマノートに以下のように。


独語原題は、「Auf der anderen Seite」(別の側へ)だが、それぞれが別の側から接近し、クロスする意味をこめている。
自らの文化を否定して異文化に「同化」する転移でも、一点収斂型の「ルーツ」への回帰でもない。ある種トランスローカルな発見である。

#『海ノ風ノ光リ。』PHOT BY MS.BEE