[映画]『敵こそわが友〜戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』監督:ケヴィン・マクドナルド@テアトル銀座

azamiko2008-08-07

(内容に触れています。未見の方はお気をつけください)


アメリカに関するドキュメンタリーを二作観ました。
その一本が本作です。
多くの証言に基づいた、フィルムに弛緩したところのない、とてもよくできたドキュメンタリーです。

《あらまし》
クラウス・バルビーはナチスの親衛隊として、ユダヤ人、子どもたちを強制収容所に送り、フランスに侵攻してからは、リヨンで対レジスタンス活動、リーダーのジャン・ムーランの虐殺に関わる。
戦後、戦犯として裁かれることなく、ドイツで反共産運動の工作員として、アメリカ陸軍情報部(CIC)で活動。
その後フランス政府より身柄引き渡しを要請されたCICバチカンのラットラインといわれるルートを通じて、家族とともに南米に亡命させる。
ボリビアで農園等を経営、その後、軍人に接近、政府の庇護の下、海運会社を設立、武器輸出入などを通じて軍事政権に深く関わる。
ゲバラの殺害にも関連があるといわれる。
1983〜7、ボリビアに民主政権が成立したことから、フランス政府からの身柄引き渡しに応え、国外退去命令移送され、フランスで人道に対する罪で裁かれる。終身刑


『敵こそわが友』という日本語から、全く違う内容を想像していました。
原題は『MON MEILLEUR ENNEMI』「私の最高の敵」というような意味のフランス語です。


これは、
クラウス・バルビーが、フランスで人道に対する罪で裁かれたときに、裁判官から弁明を促され
「私は、敵ながら敬意を表するレジスタンス運動と非妥協的に戦いました。しかしながら、当時は戦中であり、もはや戦争は終わったのです」
という言葉に由来しているのでしょう。
バルビーはボリビアの海運会社の一員としてフランスに渡ったときに、パルテオンにあるムーランの墓に詣で立派な花束を捧げた。といいます。
彼にとって、戦時中任務に従っただけで、敵であっても敬意を表している、ということなのでしょうか。


この映画がドキュメンタリーとして優れていると思えるのは、歴史の裏面をバルビーの生涯を通して映像化したことにあります。
反共を脅威とし、ナチスの戦犯を罪と引き換えに利用したというアメリカの軍事政策。
それは、米ソ冷戦構造のはじまりであり、アメリカの覇権のさきがけだったでしょう。
バチカンの関与も見過ごせない事実です。
それらは、日本の戦後でもあり、A級戦犯であった岸信介が安保条約を締結したこととも、沖縄の基地化、象徴としての昭和天皇とも関連しています。
シベリアに抑留された人々や中国帰還兵が、スパイ扱いを受け、仕事にもつけなかったという事実は、戦後の民主主義の下、反共政策があったことを裏付けています。
アメリカの覇権は行きつくところまで来てしまいました。
バルビー裁判の弁護士であったジャック・ヴェルジェスが弁護活動を通して、示唆していた
バルビーを裁いて終わることではないということだけはたしかです。





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