『水になった村』監督:大西暢夫@ポレポレ東中野

もう一度みたいと思う映画は、それほどあるわけではありません。
ただ、たんたんと日常を描いているドキュメンタリーに魅かれることがあります。
日常そのものが、ドラマのように。
九月に鬱病自死された佐藤真さんの『阿賀に生きる』もそんな映画だった。


『水になった村』は岐阜県徳山村という、今は日本最大のダムになり水に沈んだ村。
ダム建設で住民が立ち退いたあとの、春から秋の間、幾人かの住民たちが我家で過ごす。
そこで繰り広げられる日常のなんと豊かでたのしいことよ。
川で栽培している山葵を取りに行ったり、木の皮を剥いで、漢方薬をつくったり、栽培したあずきを煮て、大きなおはぎをつくったり、山芋を掘ったり、露天風呂に浸かったり・・・。
自然の恵みとともに生きているひとの生活そのものが、自然のめぐみのようにみえてくる。


水に沈めてしまった村は、豊かな恵みも沈めてしまった。
人びとの営みも、消し去ってしまった。
それは、現代のすがたそのものです。
私たちはどこに行こうとしているのだろうか。
水の底には、その痕跡があるだろう。
気配があるだろう。


記憶だけが何かを暗示し、後戻りできないことを示唆している。



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