『志野と織部』出光美術館

azamiko2007-04-17


焼き物に詳しいというわけではありませんが、陶器の中で志野が好きです。
桃山時代に、朝鮮や中国からの陶磁器から一線を画する陶器として日本独自の発展を遂げた代表的なやきもの志野織部を中心に。
黄瀬戸
それぞれの魅力がよく分かるいい器が展示されていました。
手にとって感触を確かめたい。
肌触り、ずっしりとしたその重み。
抹茶の色と合うだろうな・・・と、いくらみていても飽きません。
特に鼠志野といわれるねずみ色の志野、志野織部と言われる、絵付けのくっきりしたものそれぞれ。色が好きです。
また、黒織部を知りました。
展示された茶碗はどれも大きく歪んでいるのですが、その造形も絵付けの文様、意匠も前衛的です。
内側に☆型がひとふでで描かれていたり、黒の地に音符のような蕨が描かれていたり、白い亀甲模様が描かれていたり。
金色を施した菊文様の小ぶりで黒と金とのコントラストでひときわ魅かれるものもありました。
わびさびもいいけれど、桃山時代らしい絢爛さもいいですね。

織部独特の緑と土色のコントラストはあまり好きではないのですが、造形的には、独自の世界を切りひらいたということがとてもよく分かります。
上から見ると、従来は丸い形だったものが多様な造形がされるようになったのも織部の革新です。
四方系、扇形、菱形、州浜形、誰が袖形など。


また、志野と織部にはやきものの革新といわれる絵付けがあります。
この時期の絵付けには、いろんな意味がこめられていたようです。
結界(死と生との境界)を表現していたり、神を身近に感じるモチーフ、願望もあるようです。

たとえば、「吊し」といって、しめなわのようなものが描かれていて、単純に考えれば飲食物の穢れを絶つ意味があるでしょうし、結界を示すモチーフとして描いているとも考えられます。
傘や笠、網や籠も結界を表すモチーフなのだとか。
また、草花の揺らぎが多く表現されていますが、これは神の影向を祝する意図があったのではないかとのことです。
古来日本人は神霊を人間の姿などの偶像として描くのではなく、神霊が降臨した気配として表してきたというのです。
器の周囲にまがき(結界)を描き、中には千鳥が飛ぶ姿はパラダイスを表現したものかもしれませんし、千鳥の飛ぶ姿に神の影向が象徴されているのかもしれない、など。
桃山時代の陶工たちの願いが伺えるようでとても興味深い展覧会でした。

4月22日(日)まで。