2006対話集会『靖国・教育・天皇制』@青山ウイメンズプラザ


夢なら醒めてほしいと願うような体験をしたことは今までありません。
原爆を体験した人も、チェルノブイリの事故に遭遇した人も、拉致被害にあった人も、強制連行されたひとたちも、つらい体験をした人は夢なら醒めてほしいと願ったにちがいありません。
しかし、いよいよ、夢なら醒めてほしいと願うのだろうかと思うこのごろです。


現政権のやろうとしているのは戦争のできる国家の再編にあり、それは軍、愛国心教育靖国神社を三位一体としてすすめられている。
それを支える背景は象徴天皇制である。


高橋哲哉氏のことばは象徴天皇制を支えてきた戦後民主主義、平和主義をも問うものです。
天皇メモが発表されて以来、永久戦犯を分祀し、天皇も参拝できる靖国神社として、戦死者を顕彰する施設へと方向付けされようとしているように思えてしかたありません。
かねがね、日本国憲法が「天皇は・・・」ではじまることに疑問を思っていたので、三宅晶子さんがドイツの憲法を例に日本国憲法明治憲法の影響下にあると言われたことに納得しました。
ドイツ憲法は「人間の尊厳」からはじまります。
第一条
(1)人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ、保護することは、すべての国家権力の責務である。


日本国憲法では「天皇」、「戦争の放棄」、「国民の権利および義務」・・・とつづき、国民の権利については3番目。
主権者は国民であれば、いちばん最初にあっていいはずですね。
天皇制が自由・平等の精神から論理的に考えると整合性を欠くというのは、中学校の社会科ではじめて日本国憲法を学んだ時に感じた疑問です。
ちなみに、私は現天皇一家に同情を抱くものです。


憲法の後退は本意ではありません。
現実に戻ると、変えられた教育基本法自民党憲法草案は公の秩序が強調され、公の利や意に沿わないものは劣等処遇原則に甘んじなければならない社会はすでに格差となって現実化し、不安感を拡げています。
夢なら醒めてほしいと思う日のことを想像するのは、まだ余裕があるからにすぎないでしょう。


会の冒頭、教育基本法が特別委員会で強行採決された14日、国会前の映像が流れました。
国会前は解放区だったと三宅さんは言います。
人垣のなかをぬって、議員面会所前の道路を隔てた側から何かあったのだろうとみていた強行採決直後の怒りのどよめき。
雨が降り出した中、ひとりで立っていると、傘をさしかけてくれた人がいました。
もってきた傘を提供してくれたひともいました。


ナチスへの抵抗の研究で「抵抗の階段」というのがあるそうです。
1、同調しない
2、拒否する
3、抗議する
4、暗殺未遂

*前の段階を示す人が多いほど次の段階に進む率が少なく、とどまる。



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