『元禄忠臣蔵前編』@東京フィルムセンター


10月下旬から続いている没後50年『溝口健二再発見』も27日で終わります。たくさんみたいと思いながら、『近松物語』をみて以来、『元禄忠臣蔵前編』は二回目です。

1941-2年作の『元禄忠臣蔵』は画像も音声も悪く、セリフが聞き取れにくい。
その上、後ろのひとの鼾が断続的に聞こえてくる
(^-^;
フィルムの状況からも、上映回数が多かったのでしょう。
映画は、平面からと上からの映像との構成がリアルと物語性とを二重構成に、丁寧につくられていて、松の廊下を再現したセットなど、日本映画の最盛期を思わせます。
前編だけしかみていないので、感想はおくとして、『忠臣蔵』で今まで知らなかったことをひとつ知りました。

大石内蔵助が主君浅野内匠頭長矩の切腹のあと、幕府からの城明け渡しに藩士たちが討ち死にも辞さずという覚悟でいるなか、ひたすらある知らせを待っている。
それは京への使者であり、お上(天皇)の意向であった。
「一念を達せられず、不憫なり」という吉良上野介がかすり傷で終わったことで浅野内匠頭に同情する言葉を天皇が発したと聞いた大石は、そのことをひとつの支えに、吉良上野介を討つ意志を強くしたということなのです。
私が知らなかっただけで、忠臣蔵の常識なのでしょうか?


後編、セットまで完成しながら、「ショーは撮らない」という溝口の討ち入りのシーンのないことで有名な『忠臣蔵後編』はいずれどこかで。