『母たちの村』:監督ウスマン・センベーヌ@岩波ホール


所用で雨の東京にやって来たBさんと岩波ホールで『母たちの村』を観た。
この作品、Bさんから聞くまで、ノーチェックでしたが、久しぶりに見ごたえのある映画だった。
朝から雨で、平日、11時半開演の映画館は、ガラガラだと思っていたら、7割がた席が埋まっていた。
口コミか、かなりのヒットでは。
映画を観るたびに、眠ってしまうことしばしば、どうなることやらと思いきや、『送還日記』どうよう、覚醒の映画だった。


アフリカの女性器切除の風習は少女たちの生命に関わる重大な問題であることは、フェミニズムを通じて知ってはいたが、それでも、その忌まわしい風習がなくならないのは、穢れを浄化するものとして、人びとに信じられ、それを受けていなくては、不浄のものとして差別を受けるからだ。
アフリカの愚かな風習と笑ってなどいられない。
穢れたものとして差別することは日本でも珍しいことではなかったし、今でも差別が個人的な人間関係にも機能している。
つい、60年前まで天皇が神様だと信じていた日本なのだ。
今でも、天皇制が差別の源になっていないと言えるだろうか。


イスラム教のモスクは真っ青な空の下、とんでもなく、シュールで土、衣服、テキスタイル、雑貨などみているだけで楽しい。
一見のどかな村の生活の中に、上下関係やきびしい役割分担がなされていて、近代化の押し寄せる村の権力は村を『守る』ために、どうするか・・・。
もっともリアルなシーンだった。
これは、ナショナリズムの問題、社会と個人の問題とかけ離れた話では全くない。
無抵抗の抵抗は可能か。