『あんにょん サヨナラ』金兌鎰(キム・テイル)監督

azamiko2006-07-14

9日、ポレポレ東中野にて。日韓共同ドキュメンタリー。李熙子さんは生後13ヶ月の時、父が日本軍により徴用され中国で戦死。
しかし、その事実を知ったのは90年代に入ってからだった。
そして、靖国神社に合祀されている父の名の削除を求めて、裁判を起しているのですが・・・。
19:00からのトークショーは、遺族である李熙子さん、靖国問題の最前線に一挙に立たされたとご本人も苦笑されていた哲学者高橋哲哉さん、右翼一水会鈴木邦男さんという立場の異なる各氏による有意義なものでした。
愛国者は信用できるか (講談社現代新書)靖国問題 (ちくま新書)


李さんは、徴用され戦争で死んだ父を自分のもとに取り戻したい。
靖国神社に合祀されていたのでは、父が安らかに眠れないという思いから、祖霊奪還の闘いをしている。
闘いを支える日本人とともに活動することで、日本人に対する憎しみの気持ちも薄らいできたという。



靖国問題というと、永久戦犯、首相の参拝が問題になるが、政治的外交的問題とともに、一人の個人と国との関係、個人の生き方(人生観、世界観)にかかわる問題として考えることが問題解決に避けられない。



遺族が望まなくても、死んだ人は靖国に祀られることを望んで死んだのだから、ひとつの魂としての合祀を取り下げることはできないという靖国の論理は、顕彰施設として死者を利用していることにならないだろうか。
追悼は、生者が生きるためにこそ必要なものであり、死者の声を生者が代弁するとしたら、追悼の主体である家族こそが代弁者である。
と高橋氏は言う。「死者は死者として、葬らしめよ」


かつて、靖国神社は戦争から無事に帰ることを祈願するための神社だったという。
神社の役割とは本来そういうものなのではないだろうか。
それが、今では、永久戦犯とともに、国のために犠牲となった人を顕彰し、国のために命を捧げることを推進する機関になっている。


死者を利用することは許されない。
中国や韓国が小泉首相靖国参拝に激昂するのは、顕彰施設としての靖国神社の役割を熟知しているからで、戦争の犠牲者を祀ることがなぜ悪いという小泉首相の表明をナイーヴに受け取っていたのでは、犠牲となった人たちに対し、あまりに鈍感であるばかりか、米軍再編に沿って、日本の軍備化の流れにのり、周辺諸国との関係をますます悪化させることだということを、よくよく自覚しなければならないはずだ。
8月15日に小泉首相の参拝が取りざたされているが、辞職後に、個人として参拝することを云々するつもりはないが、日本の総理大臣として参拝することを日本国民の一人として、私は決して許さない。