『ジム』『ツヒノスミカ』監督:山本起也

azamiko2006-07-08



だいぶ前になってしまいました。紗羅さん、tosukinaさんご紹介のドキュメンタリー上映会。
予約の電話を入れたら、予約受付はしていないとのことで、山本監督が、当日清算券を送ってくださいました。
『ツヒノスミカ』の前には、監督のデビュー作『ジム』を上映。
前半30分ほど遅れてしまいましたが、ボクシングジムを舞台に、取り巻く人,
ボクサーを夢見る青年たちの心の揺れや表情を丁寧に追った作品です。
なぜ、山本監督がボクサーたちを撮ろうとしたのか。
若いボクサーたちの、相手を倒すということをとことん目的にした肉体のぶつかり合うボクシングという競技に対する共振があり、山本監督のドキュメンタリーのめざすものが、肉体を撮ろうとすることにあるからにちがいないと思います。
その後、伊藤俊也、佐藤真監督とのトークショー
長すぎるという批判に、手違いで上映された『ジム』はオリジナル版で、20分ほどカットした劇場版があるらしいのですが、監督のオリジナル版への素朴な愛着と、監督たちは切るに切れないフィルムへの愛着を、それでもカットすることによって、よりいい作品に仕上げていくという作品づくりの厳しさとを思った。
残すよりも切ることの方が数段むずかしいはずです。


ツヒノスミカ』は山本監督の90歳のおばあちゃんの家を三世代で住むために解体するための過程を撮ったもの。
タイトルから、老人の厳しい現実を描いたものかと想像していたのですが、暗さは、まるで感じられません。

台所の質感がいい。
朝の光の中、生野菜のジュース、2枚の食パンに挟んだ納豆サンドをつくって、美味しそうに食べます。
カートを使うことなく、買い物籠を下げて、お買い物。
解体作業では、みずから、襖を運びます。
店番では、高いところのものを下ろしたり、戻したり。
階段も手すりに掴まることなく、軽快な足どり。
昔話や、なかなか捨てられないものはあっても、マツさんには、現在こそが大事のように思えます。
むしろ、使わなくなった落し蓋をマツさんがいらないと言うのに、とっておこうとする息子さんに、おふくろの味に対する郷愁をみたように感じました。

人はいくら年をとっても、現在という現実に生きることが出来る。
子どもには子どもの時間が流れ、老人には老人の時間が流れ、
自分の時間を生きられなくなったとき、現在という現実からはじかれ、過去に生きるしかなくなってしまうのではないでしょうか。
老人の時間を現在という時間の中で、淀みなく流れる場、それがツヒノスミカであってほしいと思います。

テーマソングで流れる宮野祐司のアルトサックスがそんなゆったりした時間の流れをとてもよく表現していました。