ねむり癖

まだ、春には早いのに、すぐに眠くなってしまう今日このごろです。
何時間でも眠れてしまいそうです。
でも、そういうわけにはいかないので、起きていますが、起きていても眠い。意識がクリアじゃない。
電車に揺られたらすぐに眠ってしまいます
本を読んでいても、ライヴハウスでも映画館でも眠くなってしまいます。
今の映画館は各回入れ替えなので、見落としてしまったところを次の回にみれないので、すっぽり抜け落ちたまま。


世の中には、睡眠を必要としていないかのように、仕事や編集や集まりやそのうえ夜おそくまで友と飲み、わずかな仮眠で山歩きをしてしまう人もいます。
一日仕事をして、飲んで夜を明かし、時にはねることなしに、新聞配達までやってしまう常時睡眠3時間というまさしく、ナポレオン並みの人もいるんですね。(驚異)
一日の活動の濃度って、とんでもなく違う。
起きている時間の濃度が睡眠の濃度にも反映するのじゃないのかな。



白河夜船 (新潮文庫)
吉本ばななの小説『白川夜船』は、仕事を辞めて、何もせずに一日のほとんどを眠っている若い女性、寺子のお話ですが、若い時にはほんとにいくらでも眠れました。
眠ることで再生していたという感じです。
それなら、今の一日中ぼやっと眠いというのは何なんでしょう。
再生欲求が満たされていないということ?
再生していないということ。

小説の中に添い寝をする職業が出てきますが、ほんとうにあるでしょうか?(まさかね)
添い寝という職業は眠っている傍で眠っている人がいつ目覚めてもいいように起きているのだそうです。
でも、彼女しおりは添い寝をしている人の心の闇を写し取ってしまい死んでしまうのです。
眠ている間に人の心の闇が夜の闇に溶け出すのでしょうか。
ということは、睡眠時間の短い人というのは、心の闇を夜の闇に溶解させることなく、心のうちに抱えたままなのでは?
あるいは、短い時間に、ものすごい勢いで噴出している?
な〜んて、小説世界を前提に考えてしまいます。


もしかしたら、いつだってぽやっと眠いのは、心の闇はすっかり夜の闇に溶け出して、からっぽのままそんな夜の闇に浮遊し、浸されているからなのかも知れません。
眠ることが生活の大きな部分を占めているこのお話は、寺子の恋人岩永の妻が交通事故のあと植物状態のままねむり続けて、小説の中でそうとは書かれていないのですが、岩永の妻とシンクロするかのように寺子は眠っているように思えます。
もしかしたら、私もだれか眠っている人にシンクロしているのかもしれない。
そんなことを考えると、ちょっと不思議な思い当たる気がしてきます。



#ローリー


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