[社会]『ご臨終メディア』森達也&森巣博トークショー@青山ブックセンター

azamiko2005-11-27


21日は『瀕死のメディア』というタイトルで集英社新書『ご臨終メディア』の刊行記念、森達也森巣博トークショーに行きました。青山ブックセンタートークショーに参加するのは3回目ですが、会場は今までで一番広い隣の東京ウイメンズプラザホール。
印象に残ったことを。ご臨終メディア ―質問しないマスコミと一人で考えない日本人 (集英社新書)

・録音・撮影は禁止、とくに森巣さんからの強い要望です。
海外に住む森巣さんからみて、日本のメディアに対する非常な危機感、民主主義への危機感が語られました。すでに日本人は茹で上がったカエル状態。最初は気持ちよく浸かっていたのが、お湯が煮えたぎっているのにもかかわらず、気がつかない。カエルは湯の温度をだんだん上げてゆくと飛び出さず、そのまま茹で上がってしまうという喩えなのですが。
もはや、民主主義の外堀は完全に埋められた。
表現の自由は民主主義の根幹を成すものだけれど、共謀罪*1が今、成立しようとしている。委員会では「目配せ」をどうのように対処しようかという話にまでなっている。
そんな中でジャーナリズムはなぜ、素朴な疑問さえ質問しようとしないのか?
・森氏曰く、最近、やらせ報道ということがしきりに問題になるが、現場で制作していてそのことがよくわかる。今まで、報道は分かりにくい、客観性がないと言われてきた。ある事実があって、そのことを伝えようとするとき、そのことを設定してつくるという形をとることになる。
つまり、やらせ報道とは切り上げである。
・TVはこの10年くらいで、わかりやすさ(単純化、簡略化)の追求に向かっている。つまり、分かりにくいことは切り捨てられる。しかし、切り捨てることによって、隠された問題、伝えるべきことを伝えないことになり、そのことの方がより問題である。
・メディアの企業化によって、ジャーナリズム本来の目的とはベクトルのちがう方にむいている。ジャーナリズムとコマーシャリズムは相容れないものである。
メディアに従事する従業員の論理になってしまっている。
・海外にいれば当然きづくことにもかかわらず、海外からの取材からも日本が孤立しているという報道がない。アメリカが孤立しているという報道もない。世界から相手にされていないという報道もない。国民は世界から孤立しているということにきづいていない。
日本が戦時下にあるとも思っていない。
・しかし、ほんとうに企業の論理に従うのであれば、むしろ、国民は知りたいと思っているはずなのだから、一方的な報道ばかりではなく、国民の知る権利を保障する報道をすることによって、企業の論理(発行部数、視聴率)に繋がるはずである。
・ジャーナリズムというのは、国民の知る権利の代行である。何を聞いても失礼ということはないにもかかわらず、記者会見という場においても質問しない。情報は一方的である。ジャーナリストではなく、メディア産業に従事する従業員になっている。
全体主義ファシズム)は20世紀になり、メディアの存在により、起こった。
ナチスが映像と放送とを上手く使ったことはよく知られた事実であるが、メディアが存在しなければ、ファシズムはなかった。
・デモクラシーとファシズムは表裏一体である。ドイツワイマール憲法のもと、ナチズムは起こった。
・日本人は環境になじみやすく、情緒性と親和性が高いので、特に危険である。
・ジャーナリストの特権(=国民の知る権利の代行)によって、素朴な疑問を発するべきである。そこから、ロジックを構築するべきである。
無知とは知らないことではなく、疑問を発せられない状態のことである。(フランツ・ファノン
素朴な疑問を発することからはじめよう。

1時間ばかりのトークのあと、会場とのやりとり。月曜日ということもあり、若い人、出版関係者も多いようだった。特にふたりのトークはジャーナリストに向けられていたように思う。
「まさか、ここでなにも質問が出ないということはないのを祈って・・・」という森巣さんの挑発的な発言に、次第に質問が発せられた。
森巣さん、本業博打打。一見風貌はコワそうだけれど、ダンディーで率直で熱い人だ。
森さんは危機的メディアを感じつつも、世界は多面的で、まだまだいろんなところでいろんな世界があり、希望をもてる状況があると言われていた。
姜 尚中 、 森巣 博の共著『ナショナリズムの克服』 は7刷、7万部売れたとのこと。森 達也 , 姜 尚中 共著『 戦争の世紀を超えて―その場所で語られるべき戦争の記憶がある 』はいまだ1刷だとか。森さん苦笑。ナショナリズムの克服 (集英社新書)戦争の世紀を超えて
714円の新書の1ページ目にお二人のサイン。森巣さんのサインの下には四角い1,5cm角のハンコが朱肉で捺されている。きっと、几帳面な方なのだろう。なんか、すごくとくした気分。
しかも、お二人はひとりひとり「どうもありがとうございました」ととても丁寧な挨拶をされていた。