マンハッタン弦楽四重奏団『ショスタコーヴィッチ弦楽四重奏曲』@武蔵野市民会館

16日(日)は久しぶりにクラシックコンサート。マンハッタン弦楽四重奏団の、ショスタコーヴィッチ弦楽四重奏曲1〜15番全曲演奏会に行きました。

全曲演奏するのに、朝10時開始から夜10時まで、半日かかります。昼食と夕食に各75分、3時頃に30分、2曲づつの間に15分の休憩が入るので実質的には約8時間の演奏時間になります。休憩時間は出入り自由なのですが、その長丁場にほんとうに大丈夫かしらと思っていました。何が大丈夫かというと、演奏の質と私自身が聴いていられるかということだったわけですが、それは私の危惧だったことを申し訳なく思います。緊張感の途切れることのないすばらしい演奏でした。

音楽に限らず雑食なので、クラシックも大好きなのですが、詳しいわけではありません。ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲は部分的に聴いたことがあるものの全曲聞いたことはなく、ただ、そのときの印象として魅かれるものがあったというくらいです。
今回行こうと思ったのは、全曲演奏のうえ、その料金の安さと朝の10時から夜の10時まで、どこから聴いても、どこまで聞いてもいい、出入り自由の気安さにありました。
4000円という破格の値段は武蔵野市の企画事業だからできたことだとあらためて思います。
演奏は料金の低さに反比例して申し分のない高いものでした。4人のメンバー(ヴァイオリン2、ビオラ、チェロ)のテンションは落ちることなく、四重奏ならではのみごとなハーモニー。個々楽器の音色も磨かれていました。
日本初演ということですが、世界各国で演奏し、高い評価を受けてきただけあって、ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲の魅力を十二分に感じさせてくれました。
朝の開演から行くつもりだったのですが、結局昼過ぎ5番から聴いたのを後悔しています。次回機会があれば、必ず全曲聴きたい。
実をいうと当日は同窓会もあって、めったにあえない友人との約束も反故にしてしまったという後ろめたさもあるのですが、コンサートの余韻は今もなお残っています。友人とはいずれ必ず会えるはずです。
聴衆は中高年の男性が圧倒的に多かったように思います。多くの人が寝ているのかと思うくらいうなだれていたけれど、曲調が変わるとぱっと目を開けるので、目を瞑っているだけだったのですね。当たり前か(笑)?
第一ヴァイオリンのエリックさんは余裕があるというか、コンサートマスター(?)として必要なことなのか、演奏の合間には客席を見渡していました。みんなよく眠っているなあ。と思ったか思わなかったか・・・(笑)ビオラのジョンさんは、とても愛嬌のいい人で、あふれるばかりの笑顔で会場を見渡しては、必ず目と目とを合わせて挨拶していました。
ショスタコーヴィッチは1906年ペテルスブルグに生まれました。1930年代に旧ソ連邦党の機関紙プラウダによる批判を受けて以来、政治的圧力により、約20年間、厳しい創作活動を余儀なくされます。1938年に一番が書かれて以来、64年の15番まで、間歇的に書かれた弦楽四重奏曲ショスタコーヴィッチの内的葛藤や沈潜した思い、また一方、交響楽の緊張と集中と転換の手法を取り入れたといわれる、暗いなかにも光明を感じさせる理性的で哲学的な作品でもあります。
8番は「ファシズムと戦争の犠牲者に」捧げられています。
後半11〜15番は特に気に入りました。ジャズふう、現代音楽風、民族音楽風などいろんな要素を取り入れ、実験的な試みもみられます。

マンハッタン弦楽四重奏団は60年代後半にマンハッタン音楽学校のレジデンスカルテットとしてはじまり、冷戦が凍結した1980年初頭にはソ連各地で演奏旅行もしています。
ショスタコーヴィッチの全曲演奏では知られボストン・グローブ誌に「国の宝」と記され、TIME誌の室内楽で唯一クラシック部門のベストCDに選ばれたこともあるそうです。

最後にはスタンディングオベーション。こころから拍手を送りました。
演奏でお疲れの彼らは、何度も聴衆の拍手でステージに呼び出され、彼らはすべての始まりだった1番をアンコール演奏。最後までテンションの落ちない、心に沁みる演奏でした。
拍手に応え、4人のメンバーは長い時間聞いた聴衆に拍手するとともに、スコアを掲げ、この曲を書いたショスタコーヴィッチを讃えました。




#パイプオルガンのある武蔵野市民会館小ホール


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清渓川が流れるソウルの夜景 (東亜日報
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