『笞の痕』監督:マグダレーナ・ピェコシュ@国立近代美術館フィルムセンター

これはなかなか面白かったです。文学作品を原作にした父との葛藤を描く人物描写は2004年の作品にしては古い感じはしますが、ポーランド映画らしい内省的で、丹念に描かれた映像に伝統を感じました。
原作では悲劇であった結末を監督のたっての要望で、悲劇に終わらせないものとして、ポーランド文学賞を受賞した若手作家クチェク(1972年〜)みずから脚本化した作品だそうです。監督は女性。
あらすじは、幼い頃に母をなくし、厳格な教育方針の父親に育てられヴォイテクは、恐怖心と反抗心を募らせ、徐々に父親との隔絶を深めてゆきます。家を出て、30歳になったヴォイテクは潔癖で、他と打ち解けることのない孤独な青年になっていました。洞窟探検に没頭し、雑誌への寄稿で暮らしを立てている。洞窟探検の方針で対立したことからタチアナと知り合うように。
洞窟探検に没頭するヴァイテクというのも面白いです。洞窟にできた湖の水底深く潜る姿は心象風景そのもののようでもあります。
タチアナと知り合ったことから、彼の内面は氷解してゆきます。そして、長く疎遠だった父の死を知り、父は彼をとても愛していたことを知ります。父は息子を愛する方法を知らなかったのです。
監督の要望がなければ、この映画は暗く、希望を感じないものになっていたでしょう。父との葛藤を描いた作品は決して珍しくないし、愛によって徐々に変わって行く筋立てというものも珍しくありません。しかし、この映画の何が好感を抱かせたかというと、父と子の悲劇が男と女の悲劇として繰り返されることなく、愛するものが愛するということを互いに怖れながらも向かいあおうとする結末だからだと思います。他者を受け入れてゆく物語。
彼に興味を持ったタチアナはなにも知らないまま、強引に彼の内なる扉を開けます。やってきた来訪者の無垢さに彼の孤独は扉を開けたのだろうと思います。タチアナは彼の異常さに気づき、傷つきますが、そのとき、すでに彼はタチアナを深く愛するようになっていました。二人の気持ちは上手く噛みあいません。お互いを受け入れられないままの父と子の悲劇は、男と女の悲劇として、繰り返されそうになります。しかし、父と子の悲劇は繰り返されません。ヴォイテクは父を待っていたように、ずっと愛する人を待っていたのでしょう。タチアナは新しい命が宿っていることを予感し、ヴォイテクは父になることを予感させるところで映画は終わります。
ヴォイテクが父になるということは子どもであった自身を再び生きることでもあるでしょう。新しい命の誕生は、文字通りヴァイテクの再生の物語でもあります。そして、それは、他者を受け入れたことでようやくやってきたのだと思います。




# ビルと満月