コイズミと日本人の共犯関係

azamiko2005-08-28

アンテナに入れさせていただいている。といっても勝手にですが、猿虎日記の『[愚考]猿虎M字開脚!』は選挙とそれに関わる有権者の心情とをとてもリアルに分析しています。面白いので、長いですが、その一部を引用します。

ところで、pikarrrさんの文章で一番面白かったのは「いじめられた小泉が、僕たち国民に泣きついてきたのです。そこに僕たちは哀れみを感じ、いとおしく感じているのです」というところです。実際は、いうまでもなく、小泉こそ、いじめてる張本人なわけですが(例えば在職中に約14万人も自殺とか、7年連続国民所得減少とか、国民生活4年連続悪化とか)、誰もそう思っていない。それは、テレビが、「小泉がいじめているところ」をまったく映さないからです。いやそもそも、テレビに映っていないものは、存在しないのです。「存在するとはテレビに映っているということだ」とかのバークリー僧正も言っています。それどころか、テレビは、まるで「小泉がいじめられている」かのような逆の「絵」(構図)を巧妙に作り出す。すばらしい「演出」です。
 しかも、「小泉にいじめられている」のは、実は私たち自身なのですが、私たちはそれに気づかない(あるいは気づかないフリをしている)。私たちは、安全なお茶の間で小泉がフォールされているところを面白がって「観戦」しているつもりなのですが、実は、私たちがいるのはリングの上で、私たちの見えないところ(つまりテレビが映さないところ)では、血しぶきをあげて苦しんでいる人々がいる。気づいた時には、私たちはマットの上で完全にフォールされていて、カウントの声が聞こえるのですが、その時はもう遅いのです。テレ・ビジョンとは、遠隔的にモノを見せる機械ではなく、私たちを見ることから引き離す機械なのです。

 というわけで、私たちは「これって演出でしょ? 分かってるよ」と思うことで、小泉やマスコミに対して優位に立っているつもりになっているのですが、実際は違うのであって、私たちは、小泉の強権政治が「演出ではない」ということが「分かっていない」のです。「騙されないよ」と思うこと自体が「騙されている」ことなのです。「わかって騙されているんだ」とさらにメタレベルに立とうとするのかもしれませんが、実はそんなメタレベルなどないのです。端的に騙されているだけなのです。その無力さを認めたくないから「わざと騙されている」と強弁するのです(「それもわかっている」と言い出す人もいるでしょうが、言うまでもなくそれは無限後退に陥ります)。

一週間ばかりの旅だったけれど、なぜかいつになく、なかなか現実の世界に戻れないでいました。ちょっと、彼岸を浮遊してるみたいなふあふあした感じ。これってやっぱり不安感からでしょうか。でも、やっと、今の状況に自分を立たせることができそうな気がしてきました。

首相のおひざ元神奈川11区で天木さんが立候補するのも、田中康夫氏の新党日本もコイズミの演出に対抗するべくなんとか選挙を面白くしようとする試みだろうと思います。

「わかって騙されているんだ」はホントは「なんにもわかっていなかった」
引用部分だけでなく、猿虎日記を是非どうぞ!



#正伝寺の獅子の児渡し(小堀遠州 作)
正面に比叡山を望む借景