阿修羅〜六道の辻まで
奈良・京都の旅は、観光旅行なのでさして珍しいということもないのですが、一応行ったところなどを。
15日奈良ー猿沢の池、源興寺、奈良町散策、興福寺 夜 大文字
17日奈良ー東大寺(大仏殿、三月堂、二月堂)京都
夜 友部正人ライヴ@拾得(京都)
18日京都ー青蓮院、知恩院、安楽寺、法然院、銀閣寺、寺町通り
19日京都ー円通寺、正伝禅寺、太田神社、上賀茂神社、大徳寺(高桐院)
夜 MOOOLS,二階堂和美、FRUIDライヴ@カフェ・アンデパンダン
20日京都ー龍安寺、祇園通り、六道の辻
秋篠寺、安楽寺、正伝禅寺、大徳寺(高桐院)ははじめて見学。
円通寺、正伝禅寺は比叡山を望む借景です。いつまで庭園の景観が保たれるか、住職ならずとも心配になります。
哲学の道沿いにある安楽寺は後鳥羽上皇の女官(鈴虫、松虫)が帰依したことから、上皇の怒りに触れ、晒し首にされた法然の弟子上蓮上人、安楽上人の草庵にはじまります。ふだん公開されることはほとんどなく、この日、たまたま入ることができました。
正伝禅寺を訪れる人は少なく見学者は私たちだけ。杉の森に囲まれた山寺ですが、比叡山を望む庭園は小堀遠州の獅子の児渡し、狩野山楽の襖絵、伏見城に立て篭もり割腹した武将たちの血痕生々しい血天井、遠景の比叡山の美しさなど江戸初期の見るべきものの多い禅寺です。
東大寺、薬師寺などの大きなお寺や知恩院や南禅寺の山門のすばらしさを見ると、いつも思ってしまいます。高い山にあることも多く、これだけ壮大な寺院を建立するのに、どれだけ多くの人びとに賦役が課せられ、犠牲が強いられたでしょうか。来世のご利益を願って辛い賦役に耐えたのでしょうか。
三月書房斜め前のお店のおじいさんに会えるのを楽しみにしていましたが、シャッターが閉まっていて、もしや・・・。三月書房で尋ねたら、今年の春に前日までお店をあけていたおじいさんは88歳で亡くなられたそうです。(合掌)
興福寺の阿修羅像、地蔵尊、高桐院の庭、青蓮院の鐘、知恩院の階段と山門、二月堂の回廊、三月堂の不空羂索観音の宝冠、法然院の白砂壇、薬師寺の三重塔 、秋篠寺の伽藍・・・etc。
思い出に残るところはたくさんありました。いつか法然院の阿弥陀如来と襖絵がみたいです。
旅の最後は六道の辻。六道は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界のこと。現世とあの世の境と云われ、六道珍皇寺の門前です。元々埋葬の地(死体の捨て場所)で『鳥野辺』と言われていたそうです。
みすずの藤田省三氏の追悼に「理性と実存との辛いハザマに、ずっと身を横たえながら生きてきた藤田さん・・・」という冒頭ではじまる西郷信綱の一文を思い出して同行者は旅の最後にここに来たいと言いました。追悼文の最後はこう結ばれています。
(前略)これとは別に私には、ちょっと気になることがあるんです。何かといえば、そう遠からぬ或る日、あの世の「六道の辻」のあたりで、私はあなたとひょっこり出逢い、「遅かったじゃないの」と挨拶されそうな気が、ふとしたりすることがあるのです。その時はしかし、「何云ってんの、君こそ、ここに来るのがやけに早すぎたのに」と断固やり返すつもりです。
だが、さてそのあと、たとえば、盲目の琵琶法師が語ってくれたあの平家物語のすばらしさについて、二人でたっぷリ話し合うことができたら、さぞかし嬉しいだろうな、などと欲深いことを遥かに思いやったりしてもいるのです。その、また逢う日まで、藤田さん、しばらくさようなら!
#六道の辻に立つ石像