『HELLFIRE 劫火 ヒロシマからの旅』監督:ジャン・ユンカーマン

今は亡き丸木位里、俊ご夫妻の原爆の図の創作の経緯やその様子を撮影した作品です。
原爆の図を公開する時に大広間に広げた絵を「裸足じゃ困るけれど、靴下をはいてる方はどうぞ作品の上に載ってご覧ください。踏んで、汚れたら、絵もまたよくなります。簡単に破れない紙を使っているので大丈夫。あとは、うじやハエを描くだけ」と言われていた。
高齢のお二人の衰えぬ創作意欲。
俊さんが描いたものを、位里さんがその上から墨を塗って消して、またその上から俊さんが描くという二人の戦いのような創作風景。「踏んで、汚れたら、絵もまたよくなります」と言われたわけが分かったような気がする。
少年をモデルに絵を描く俊さんのシーン。大きな紙に太くて長い筆で立って描く。絵を見つめながら、ふたりで交わす会話。書きながら語り、語りながら描く。創作はふたりの協同作業のようで、お孫さんかと思ったら、俊さんにお子さんはおらず、モデルの少年との自然な会話。モデルになった位里さんの年老いた背中、少年のみずみずしい肢体、それらが作品の中に描かれてゆく現場にたち合っているような興味深い場面でした。
インタヴューに答えて俊さんは、「一枚描いたら、原爆の絵はそれで描かなくていいと思っていたが、それで終わらなかった。描かなくてはいられなくなった」と言われていた。
「どんな悲惨な絵も細部を美しく、愛情を込めて描くようにしている」と言われていた。アメリカで公開した時に、協力してくれたアメリカ人から「貴女は南京大虐殺についてはどう考えるか」と言われ衝撃を受けた。考えてもいなかったことだった。みたものの証言として書いていたことがそれをきっかけに変わって来た。
南京大虐殺の日本人は、中国に徴兵されていた弟かもしれないし、身近な誰かかもしれない。俊さんの描く南京大虐殺の日本人に瞳は描かれていません。
チョムスキー』や『日本国憲法』どうよう、ユンカーマン監督が人間の普遍性を求めて撮った映画だと思いました。製作者にはジョン・ダワーも。1988年カラー 58分
丸木美術館http://www.aya.or.jp/~marukimsn/