『殺人の追憶』監督:ポン・ジュノ〜稲穂と青空

殺人の追憶 [DVD]

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http://www.cqn.co.jp/mom/の感想をとおもいながら、何が書けるのかなと考えていました。
私にとって、はじめてみた韓国映画子猫をお願い』がとても面白かったので、韓国映画にも詳しいある評論家氏にメールしたところ、『子猫をお願い』の共感とともに「今年公開された韓国映画では、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』が良かったですね」というメールが返ってきた。それ以来、『殺人の追憶』は気になってはいた。
しかし迂闊な話なのだけれど、映画館の予告でもたびたび流れていた猟奇殺人事件を題材にした映画と『殺人の追憶』とがまるで結びつかなかった。『殺人の追憶』というタイトルは流れたはずだし、なぜなのでしょう?
それが結びついたのは、ららさんの書き込みからです。
映画館でたびたび流れる猟奇殺人事件の映画が『殺人の追憶』?・・・そっか!?
それは、ただ猟奇殺人事件の映画なんて観たくないという拒否反応だけだったのでしょうか。どこかで韓国映画に対する食わず嫌いが働いていたように思います。
だから、あらためて大きな声で言います。もし、あなたが食わず嫌いで韓国映画を観ていないのだとしたら大きな損失をしていますよー!!と。
すべての映画を観られるわけではないので、予告編を観るのは大好きで、予告編から、これ面白そうと、観ることはよくありますが、『殺人の追憶』に関しては予告編を観てもゼンゼン食指が動かなかった。予告を見て面白そうというのが、あまり当てにならないものだということを今回はとても自覚しました。
(以下ネタばれ、未見のかたはご注意ください)
前置きが長くなってしまいましたが、評判どおりの傑作です。安易な刑事ものとは違い、かといって真面目いっぽうな社会派ミステリーでもなく、笑わせるところも随所にあります。役者達の演技も上手い。韓国映画の質の高さを示しています。
韓国で実際にあった未解決の猟奇事件を題材に、次々に女性たちが殺害される事件を担当した刑事たちの物語。
ソウルから若くて、近代的な捜査をするイケメンの刑事が事件解決のためにやってきたというとこの刑事が旧弊な捜査、被疑者を暴力で自白させる。証拠をでっち上げる。など当たり前の前近代的な捜査にてこずりながらも、さまざまな摩擦と格闘しながら、真犯人を突き止めてゆくというストーリーを想像してしまいます。
しかし、この映画は、いわば、この定型化した安易な刑事ものとは一線を画しています。さりげなく刑事たちの学歴差が描かれ、それぞれの環境を暗示します。韓国社会はモーレツな学歴社会だと聞きます。
知的障害のある容疑者クァンホを演ずる役者の演技が強い印象を残しました。
知的障害者や被差別者が犯人にされた冤罪事件は日本でも多くありましたが、血液検査がなければ、刑事の手柄のために犯人にさせられてしまったというのは珍しい話ではないのは映画を観てもよくわかります。
最大の容疑者ヒョンギの繊細な演技も光っています。
エピローグ、たわわに実った田んぼの側溝を覗き込んでいたパク元刑事、彼はこの猟奇事件を解決できないまま刑事をやめ数年後、たまたまこの地を訪れます。そのパク刑事に問いかけた少女はなぜ、少女だったのでしょう。
冒頭にも捜査のため側溝を覗き込んでいるパク刑事のシーンがありました。その場面ではイナゴとりの少年が登場していて、パク刑事がいくらこの少年を追い払おうとしても、追い払えず、刑事の言葉を反芻する少年が観客の笑いを誘います。
映画とはいえ、女性の絞殺死体を目の前にして笑うのは不謹慎に思えるのですが、子どもたちにとって、殺人事件とは、そういう現実なのだろういうことと同時に、この物語が映画で描かれたフィクションであるということの安心感を観客は瞬間的に感じるということにもなります。つまり、フィクションの外に観客としているという安心感です。
しかし、冒頭ではフィクションの外にいることの安心感で笑えた物語がこの最後のシーンでは、観客でいることのいたたまらなさを感じることになります。
だから、冒頭の少年はエピローグの少女と対の存在であり、少女は被害者であった女性たちのメタファーであり、少年は刑事のメタファーとして描かれているのだと思います。
そして、殺人事件は解決されません。
たわわに実った遠くつづく水田を背に、少年、少女たちの道が果てしないことを思わずにいられません。
最後の水田にカメラを引いてゆくシーンは音楽もとても印象的で、日本映画のテーストを感じたのだけれど、岩代太郎という人が音楽を担当しています。