『瀧口修造:夢の漂流物』

少し前になりますが、19日土曜日、急遽世田谷美術館の『瀧口修造:夢の漂流物』に行きました。なぜ、急遽かというとこの日に高橋悠治のミニライヴがあるというのを知ったからです。着いたのは2時少し前、我が家からは遠い。というより出るのが遅い(爆)。すでに2時の回は定員オーバーということで、4時の回の整理券をもらう。しかし、会場の一角のホールなので、MCは聞こえなかったけれど、後ろのほうから演奏は聴けました。
展示は2001年の松涛美術館での『瀧口修造の造形的実験』とはまた、違う趣。前回は瀧口修造本人の水彩、素描、デカルコマニー、バーントドローイング、手作り本などの遊び心に突き動かされてつくられた作品が多かったけれど、今回は彼のもとに送られてきた「夢の漂流物」、つまり プレゼントの品々が主の展示になっている。ダリ邸を訪れたときの石、貝殻、花などもあった。海外のシュールレアリスト、ブルトン、マンレイ、デュシャン、ミロをはじめ交流のあった多くの日本のアーティストから贈られたもののコレクション。大作の油絵、オブジェ、本、ポスター、プログラム、写真から、夜店で買ったようなおもちゃ、小石や貝殻、押し花、木の実まで。瀧口修造と友人とが「もの」に託して交わした夢の記憶とでもいうようなとても楽しいものだった。それらのものを手にして、楽しんでおられる姿が想像できる。
展示会場の最後のところに瀧口修造の世田谷(?)の自宅の見取り図を友人が記憶で書いたものがあって、それにはちょっと驚いた。シュールレアリズムの紹介者、美術評論家、詩人、豪邸とは言わないまでも、その名に相応の住まいに住んでいらしたのだろうと思っていた。書斎10畳、付随した3畳くらいの書庫、10畳の居間、4畳半の和室、台所である。物置のような小さな倉庫が敷地内にあるけれど、一本の立ち木(オリーヴ)がある以外は敷地もわずか。清貧のひとだったことが伺える。大学教授の職も固辞し、無償で現代アートの展覧会の選考委員などに携わるなど、ストイックな姿はあるいは「あそびをせむとやうまれけむ」だったのかもしれない。
居間で撮られた晩年の写真にはたくさんの本、絵、オブジェに埋もれて座るお二人(お連れ合いと)の姿。静かな空気に包まれて、お幸せそうだ。
高橋悠治の演奏は「瀧口修造の詩から生まれ、またその死に捧げられた音楽」ということで、武満徹『遮られない休息』『閉じた目ー瀧口修造の追悼に』と武満徹が死の直前にも聴いていたというバッハの「マタイ受難曲」より「憐れみたまえ、わが神よ」。
雪解け水の滴り落ちるような音だった。短い時間だったが、すばらしかった。久しぶりにピアノを堪能した。2時間かけてきた甲斐があった。
しかし、座布団はあったものの床に直座り。体育座りの姿勢で聴く。これは、どうみても文化的な音楽鑑賞スタイルとは思えない。体育座りが拘束位であり、身体に悪いことは医学的にも言われていることだ。いわば、捕虜スタイル。
いぜん、はじめてNHKのライヴビートの早川義夫とゴーストの収録に行ったときにやはり捕虜スタイルだった。傍には折りたたみ椅子がたくさん積み重ねられていたにもかかわらず(憤慨)。収録で雑音が入る恐れがあるからと好意的に考えても、無料で聞かせてやるという姿勢が感じられ不快だった。
カタログは3月中旬にならなければできないということで予約販売。CDを2枚購入。『実験工房の音楽』と『ケージ(リ)ミックス』。『実験工房の音楽』の中には以前探しても見つからなくて諦めていた湯浅譲二の「内視覚的宇宙」も入っている。『ケージ(リ)ミックス』は高橋悠治高橋アキのデュオ。まだいくらも聞いていないが、このデュオすばらしい。現代音楽は好みがあるのでお奨めはできませんが。
4月10日まで。

リアルタイム11ケージ(リ)ミックス

リアルタイム11ケージ(リ)ミックス

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~pochamal/
ゴーストはイギリスの音楽雑誌WIREの表紙も飾る知る人ぞ知る海外で活躍する日本のバンドです。キーワードにないのでHP貼っておきますね。

世田谷美術館入り口