『もし、あなたなら〜6つの視線』

azamiko2005-02-15

日曜日は、なんと新宿までモーニングショーで『もし、あなたなら〜6つの視線』を観にいきました。私だって、いけるじゃん。その気になれば(笑)。モーニングショーと聞いて、いつもほとんど諦めていますが(笑)
この映画は韓国の人権委員会の企画制作、いわば、国家的プロジェクトなのですが、それだけに韓国社会をよく表現しているのだろうと思います。
6人の監督によるオムニバス形式で、差別や人権侵害を考えるというもの。なかなか面白かったですよ。
あるフェミニストによる「韓国映画はなぜ面白いか?」みんなで話そうという企画がある。ちょうど私も考えたいと思っていたので参加するつもりです。といっても、韓国映画は今まで『子猫をお願い』『オールドボーイ』、あとはビデオで『ラブストーリー』を観ただけ。でも、3本ともとても面白かった。今回で4本目なのですが。ラブストーリー [DVD] オールド・ボーイ プレミアム・エディション [DVD] 子猫をお願い [DVD] 
以下ネタばれ。『もし、あなたなら〜6つの視線』についての感想&映画から感じた韓国社会について。
最初の一遍『彼女の重さ』は、就職で容姿が採用の重大な決定要因になることを描いています。ずらり就職試験を受ける女子高生を立たせて、会社の採用担当者達が、容姿をチェック。まるでミスコン。個人的にどのような妄想を持とうが自由だけれど、こういう形で制度的に性的視線に晒されている少女たちが、女に生まれてきたことを嫌悪したくなる気持ちがわかり、つらい。それが社会化ということだとしたらあんまりです。儒教思想も強く男尊女卑が根強い韓国にあって、多少の誇張はあるにしても、女性を容姿基準でみている就職採用シーンだけでも女性差別はかなりのものだと思う。
そういえば、以前韓国出身の韓国文化を教えている教員が、韓国では教育熱とともに、娘が20歳になると親がお金を出して整形をさせると言っていた。ルックスの良さが女性の将来性に不可欠のものだという価値観は強いのだろう。実際韓国映画のヒロインたちはみんな美しく、それも映画の魅力なのだが。
しかし、韓国映画の中の女たちは、そんな差別的な状況にあっても、か弱さを感じさせない。男の言いなりになっているようにも見えないし、男と対等な会話をしているように感じられる。むしろ、一対一になったら、女の方が強いようにさえ。なぜ韓国の女性は強く感じられるのか?言葉の強さということもあるのかもしれないが、男尊女卑の一方、母権が強いということがあるのではないかと思った。母権という形で家族制度の中で女は一定の強い力を持ち、男たちは‘母’を通して女を見るということになるのではないだろうか。だから、制度的には男尊女卑だとしても男たちは対女性に対して強権的には見えない。ただし、この母権も制度の中に組み込まれた男尊女卑を内面化した‘母’であるから、「娘のため」整形をさせるということになるのじゃないかと思う。日本社会にあってもそれは同じなのだろうが、本音と建前という日本的な分かりにくい形、オブラートに包まれた形であるものが、韓国ではストレートな形で出ているように思えた。
『その男事情あり』は、SFタッチで描かれているが日本でもリアルな問題だといえるかもしれない。アメリカ同様犯罪者がネットで誰にでも容易に分かるようになっている韓国にあって、性犯罪者が人と交わることが可能とは思えない。唯一、大人から疎外され、虐待された子どもだけが性犯罪者と気持ちを交わすという、観るものによっては、皮肉な内容になっているが、チョン・ジェウン(監督)の言いたいのはそういうことではないのは、コメントをよめばよくわかる。「無視されても当然と思われるような権利さえもが、人権の旗じるしのもとに守られた時こそ、社会は真に成熟したといえるでしょう」
犯罪者のネット公開を批判した内容になっているのであって、この企画が韓国人権委員会のものであることを思えば、国の施策の枠を越えた内容といえる。観るものによって、そういうふうに受け取らない人も多いのかもしれないが。
再犯を防ぐために公表という方法以外に方法はないのだろうか。犯罪者がすべて再犯するわけではなく、再犯を犯さない人からなぜかを学ぶべきではないか?再犯ではないというだけでだれでもが犯罪を犯さないという保証はなく、犯罪を犯し、罪を償い人生をやり直そうとする人の立場で考えたいと思うのだが。公開することにどれだけの効果があるのか疑問に思える。データーがあるならみたいものだ。むしろ、社会から疎外されることによって、より重い犯罪を犯してしまうという危険はないのだろうか。社会から見捨てられ、自暴自棄になれば、どんなことでもできてしまうのではないかと思えるが。今はまだ、結論が出せない。
『大陸横断』は障害者を描いたものだが、数年前にソウルに2日だけ行ったことがある。そのときに実感したのはソウルオリンピックを機に車優先、経済効率優先の道路事情だった。人は地下道を歩き、地上を横断することはできない。横断すれば近いものを、わざわざ地下道を歩かなければいけない。老人や障害者が生活しにくいのはとてもよく分かる。最後の車道を横断するシーンは胸が熱くなった。原一男のデビュー作『さよならCP』の影響を受けているように思えた。
英語の発音(LとR)のために舌の手術をするという韓国の教育熱による子どもの受難を描いた『神秘的な英語の国』。手術のシーンは見るに耐えなかった。これが「子どものため」という親のエゴによるものだということをおとなは考えなければいけないのは韓国に限ったことではないと思う。
ミステリータッチで容姿にかんするセクハラを描いた『顔の価値』。
実際にあったネパール人を精神障害者と誤認して、6年4ヶ月も施設に収容していたという『N.E.P.A.L.平和と愛は終わらない』。怖いことですが、無事国に帰れてほんとうによかった。

6つの作品を通して韓国という国の断面が見える。韓国映画の隆盛も少し分かるような気がした。経済成長とともに経済優先の価値観や合理主義が旧来の価値観と拮抗する形で新しいものが生み出されていく。その急激な変動の中で、抑圧されていた欲望が解放され奔流となって、(芸術大学設立などによって国レベルでの映画産業に力を入れたことによる)スキルを持った多くの若い映画作家たちが誕生し、韓国の社会の失ってはならないもの、変わりゆくものを描こうとしているのではないだろうか。
と、そんなことを思ったのだが、少々粗雑に過ぎたかもしれない。まづは映画を楽しむことにして、考えるのは、後回しにしましょうか(笑)?
韓国映画に詳しい方、「韓国映画はなぜ面白いか?」をどのように思われますか?よかったら、ご意見お聞かせくださいね〜☆


#近くの疏水をゆく鴨。もくもくとエサを探していました。一羽だけで。