雑誌『ビッグイシュー』って知っていますか?

このあと、丸の内カフェに展示されている中藤毅彦さんの写真を観にいった。有楽町から下車して、道がわからず案内状を見ていたら、イシューを売っているおじさんに声をかけられた。おじさん(牧田さん)はとても親切に教えてくれた。イシューはホームレスの自助雑誌\200。http://www.bigissuejapan.com/
買って損はないです!これまで2冊ほど、新宿で買ったことがある。お礼と言うわけではないがイシューを買うと言ったら牧田さんはとても恐縮して、一冊一冊の内容を丁寧に説明してくれた。イシューの内容はとても社会性のあるものだ。かといって、堅苦しいものでもない。映画情報も多い。大手メディアではこぼれやすい記事が多い。私の買ったメグ・ライアンの表紙の号には、顔の変形した人たちのお話が載っていた。顔じゃない心だよといっても、顔による人のイメージはやはり大きなものがある。それだけアイデンティティーが顔によって規定される部分も大きいと思う。それが変形があるとしたら・・・それをどう克服したらいいのか。エレファントマンも思い出した。それは、変形を持つもの以上に変形のないものが克服しなければならないことなのだと思う。
最後の表紙には販売員の人がひとり載っていて、この号は牧田さんだった。牧田さんはとても快活な人だ。映画のことも政情のこともとても詳い。なぜ、この人がホームレスなのか。新宿で買った販売員の人も温和で控えめな親切な人だった。なぜ、こういうひとがホームレスにならなければいけないのか。わからない。
しかし、ひとつ間違えるとホームレスになってしまうというのも現実なのだ。今までしていた仕事が不況で会社が潰れたとか辞めることになって、しばらくは雇用保険があったり、退職金、蓄えで何とかなったとしても、借家であれば、確実に蓄えはなくなってしまう。安いところに住もうとしても、仕事を持たないひとに住まいを提供しようと言う大家はいないだろう。新しく借りるためには敷金やら礼金やら、相当のお金がかかる。保証人だっているだろう。払えなくなれば、家を出て行くしかない。雇用保険に加入していなかったり、退職金も蓄えもないということだってありえる。家族や親族が健在であれば助け合うことも、助けてもらうこともできるかもしれないがひとり身で、頼る人がいなかったり、他人の世話になることを潔いと思わなければ、ホームレスになってしまうことも肯ける。ごく普通の人がホームレスになってしまう日本なのだ。
牧田さんは、大学を卒業して、以前は石油化学の仕事でクエートにいたこともあるという。世界のあちこちをご存知のようだ。湾岸戦争の時、日本に帰ってきて、日本全国を旅して廻ったという。きっと、探究心の旺盛な人なのだろう。東京に辿りついて仕事を探したが、もう、どこにも就職口はなかったという。仕事に就くにも、家と保証人が必要なのだ。
しかし、牧田さんのように元気で、こうして仕事をしている人は、こちらを元気づけてくれる。自分が傲慢に思える。こうやってがんばっている人がいると思うと私も少しはがんばらなくっちゃと思う。何とかしなければいけないのは、身なりもひどくなって、精神も傷ついてしまった人だ。真面目に働いて、(真面目じゃなくってもいい)でも仕事がなくなって、頼る人もいなければ、精神的にも社会性を失ない、心を閉ざし、身体も壊し、どんどん悲惨な状況になってゆく。こういう人たちを助ける手立てはないのだろうか。困ったときに駆け込める所はないのだろうか。
やっぱり、おかしい、おかしい、と思う。経済大国といいながら、雪も降る路上で寝ている人がいるなんて。私たちの税金はどこに消えて行っているのか!?