クリスマス回想

☆はてさて、すでに、時計はまわり、クリスマスイヴからキリストさまのお誕生日になりました。
みなさまはクリスマスイヴをどのように過ごされましたか?「キリスト教徒でもないのに・・・」と苦々しく思っていらっしゃる方もいることでしょうね。しかり。この日だけは踊らされていると知りつつ、にわかクリスチャンになって、クリスマスソングに乗って、チキンを食べたり、ケーキをほうばったり、国民的行事のクリスマス☆

かくいう私もクリスチャンというわけでもないけれど、リストランテ大澤に行っちゃったりして、クリスマスディナーとやらをいただいたのであります(笑)。
こどものころのクリスマスというのは、一年のうちでも最もうれしい日だった。ケーキよりもなによりも、サンタのおじいさん!サンタさんこそMy Heroだった!
遠く寒い北の国からプレゼントを運んで来てくれる長いお髭のおじいさんの存在は、この世界が無限に私を慈しみ、受け入れてくれているような、漠然とした肯定感をもたせてくれたように思う。
タンスの取っ手に大きな靴下はないので、3本なが靴下を下げておく。寝ないとサンタさんは来ないので、早めにふとんに入る。興奮してなかなか寝付けないけれど、いつの間にか眠ってしまっている。枕元がざわめいているように思ったこともあったけれど、なにぶん寝ぼけているので記憶が曖昧。翌朝、兄弟たちの声に目覚めると、靴下の中には、チョコやらキャラメルやらビスケットやらがデコボコ重そうに詰まっている。それらはクリスマス用の銀紙やらセロファンなどに包まれていて、いつものおやつよりずっと高級な感じだった。だって、サンタが運んできてくれたんだもの・・・。ほかに、枕元にはおもちゃだったり本だったり文房具だったり、リボンのかかったカラフルな紙包みもあって、そのときの幸福感ったら・・・。ふしぎだと思うこともなく、おかれているお菓子やおもちゃの実在だけが、サンタさんが来たことの証だった。遠い異国から橇に乗って、子どもたちのねがいのかずかずのプレゼントをどうやって配るんだろうなんて、疑う余地もなく、太ったサンタが細い煙突から入ってくることも不思議じゃなかった。実在のプレゼントを前で疑ったりしなかった。
だから、「〇〇ちゃん、それどうしたの!?」と大量のお菓子を抱えている私に、近所の遊びともだちが驚いたように尋ねたとき
「どうしたの?って、サンタさんが持ってきてくれたのよ!もちろん!」
「?・・・サンタさん?」
「えっ!?サンタさん、知らないの?じゃあ、サンタさんこなかったの??・・・変だねえ?おかあちゃん!△△ちゃんのとこサンタさんこなかったんだって!△△ちゃんのとこだけわすれっちゃったのかなあ!?」
△△ちゃんがサンタを知らなかったはずはなく、それはただ絵本の中だけの存在だったのだと思う。
母はあわてて、△△ちゃんのうちに行き、△△ちゃんのおかあさんはお菓子の詰まった銀色のブーツを買いに走った。
まだ、クリスマスというのが国民的行事になっていないころのこと。
あのころに比べて、お菓子もおもちゃも充分すぎるほどある今の子どもたちもやはり、サンタにプレゼントをもらったら、言いしれぬ幸福感を味わうのだろうか?

(朝の6時に日記の日付が変わることになっています)