ついに、ウォシュレット。

azamiko2005-09-08

実をいうと、先日の夜からトイレがつまって難儀していました。
たったの一晩でも、かな〜りストレス。配水管のつまりを処置してくれる業者に来てもらい、圧力をかけて、あっという間に開通したときには、ほっとしました(^−^;
そして、我が家もとうとうウォシュレットにしてしまいました。金曜日に設置。
配水管のつまりを直す前にセールスされたのですが、前々からパイプから漏水しているらしく床板にシミがあるのが気になって、そろそろ便座を変えなければと思っていたところです。
15年ほど前に家を建てたころは、ウォシュレットの普及し始めで、すすめられはしたけれど、当時はまだ、故障も多く、「スイッチがきかなくなって、トイレ中が水浸し」なんて話もあったり、水道代、電気代もバカにならない。それに、なんと言っても、電気や水を消費することに、資源のムダ使い、快適な生活を追及することの罪悪感が強く働いていました。以前、痔で悩んだ家族からは要望もありましたが、今までなくても済んでいたのだし、毎朝のシャワーでいい、「資源を大切に」のもと却下。
しかし、今では、ホテルやデパート、レストランでも、すでに珍しくなく、家庭普及率が5割をこえたというふれこみは、売らんかなの気もしますが、ウォシュレットが贅沢という感覚はなくなってしまったように思います。それは電気や水の消費を抑えた形のものが商品化されてきたということもあるでしょうが、朝シャン、朝シャワーが当たり前であれば、ウォシュレットも当たり前ということでしょうね。また、その利便性。特に、病人や老人、妊産婦など入浴が簡単にできない場合など、便利でありがたいツールでもあります。何だか言い訳しているみたいになっていますが(−_−;
ヨーロッパに行くと便器の隣に腰洗い槽があって、用を済ましたあとに洗うのでしょうけれど、脱衣しなければ、びしょびしょになってしまうし、使い勝手がよくないので、たしかにウォシュレットは上手くできているなあと思います。滞日経験の長い外国人の持って帰りたくなるものNO,1だそうですが、日本独自の商品なのですね。
まあ、シャワーを浴びる回数を減らせばいいんだし・・・・?なんて思ったけれど、心地よさを求めむしろ、シャワーの回数を増やしてしまうかも。
乾燥機、食器洗い機の普及もかなりのものだと思いますが、これも我が家にはなく、購入予定もないんですが、年をとれば買ってしまうかもしれません(^−^;
それにしても、家庭用の鉛筆削りとかコーヒーミルとかシュレッダーまで電化する必要がほんとにあるんでしょうか?
って、大きなことは言えませんね。ウォシュレットと大差ないか。

資源の乏しい日本が工業国として発展できたのは「水」という資源が豊富にあったからだといいますが、毎夏、水不足に悩んだり、ダム建設に直面することもなく生活していると、ふだん何気なく使っている水が貴重な資源であることを忘れてしまいます。電気や水に依存した快適な生活。原子力発電に口実を与えている快適な生活。ひとたび災害、地震でもあったら・・・それらを絶たれたストレスに耐えられるでしょうか(苦)