土門拳写真展日本のこころ

azamiko2008-02-08



時代とともに、写真があり、時代と変わらず写真がある。
そんなことを。
戦後の子どもたちの表情は、なつかしくも、その時代の過酷さを同時に思い起こさせます。
日本はつくづく貧しかったのですね。
今からみるとスラムのように見える日本の家屋。
ブルーノ・タウトがごく平均的日本人の住む家をスラムと書いていたのもわからないでも・・・。


土門拳は一枚の写真を撮るために入念に時間をかけたようです。
怒りで椅子を投げつける寸前の梅原龍三郎の表情。
壊れた枠を補修した眼鏡をかけた、破れ障子の前の志賀潔
彼の赤痢菌の発見によってどれだけ多くのひとが救われたかはわかりませんが、赤貧の彼の表情は、土門拳の説明書きとともに胸にこたえました。
三島由紀夫の写真が、ネガフィルムをそのままポジに焼いた数本を並べて額に収めているのは、一枚を選び出すことができなかったということなのでしょうか。2月11日まで。100円。

猥雑なることのあとには。


雪が降って、少し積もったので、散歩に出かけ明日には消えてしまう通りの雪に足跡を残してきました。
風邪は引いてしまいましたが、散歩はやはり、なによりの気分転換ですね。
お花屋さんをのぞいて、切花や鉢植えにできそうな、手ごろな株を買うのもいい。
今日はヒヤシンスの五株入った鉢植えと薔薇咲きのジュリアンを二株買い、むらさきの孔雀草を活けました。
どれもやさしい春の色をしています。
こんな時、音楽はやっぱり、バッハのパルティータBYジル・アパップになってしまうわけですが、消費してしまうようで罪悪感を感じてしまいます。


先日、恵比寿の洋書店limArt の小さなギャラリーで開催されていた山下陽子さんのコラージュを見に行った折に、2冊衝動買いしてしまったヨセフ・スデク(1896-1976)の写真集も、買っておいてよかったと思いました。


スデクは“プラハの詩人”といわれ、第一次世界大戦で右腕を失い、片腕だけで詩情豊かなチェコの風景を撮りました。
画面に引き込まれてゆきそうな美しいモノクロームです。


冷え切ったからだを沈め、からだの芯まで温まる。
少々の風邪ならば、これも何よりです。
こんな時映画や本は、集中できなくてとても無理なのですが、『クマグスの森』展@ワタリウム美術館で購入した水木しげるの『猫楠』を読んでいると、超人にして、強靭(狂人)なる愛すべき天才、南方熊楠の森羅万象とともにあったことに脱帽せずにいられません。
水木しげる第二次世界大戦で片腕を失った人でした。
春になったら、キノコを探しに森へ。
冬枯れした庭に鳥のエサ台をつくろうかと思います。




#白い輪郭 PHOT BY MIS.BEE