『日本国憲法』監督:ジャン・ユンカーマン

DVDを購入して、はじめて観たのは、通してではなく、途切れ途切れ、だいぶ前になります。今回見直して、だいぶ見落としていたことに気付きました。
そのことに気付かせてくださったさくら子さんに感謝。
冒頭のソウルフラワーユニオンの『戦火のかなた』はいつ聴いてもいいですね。映画への期待はいっそう高まります。シャローム・サラーム
はじめてみたときの感想として、印象的だったことは日本国憲法が日本国民にとってもつ意義だけではなく、国際社会、とくに近隣アジア諸国に対して意義があるということ。この指摘は私にとって思いがけないものだった。
特に、後半部分で中国、韓国の学者が語っていたことはとても示唆に富んでいる。
「日本は戦争責任について、近隣諸国に謝罪していないとよく言われるが、憲法9条をもったということにおいて、謝罪したと言える」
憲法9条のもつ意味についてこれほど端的な評価、表現はないのではないか。

日本国憲法の意義について、国内で様々に議論される。その議論の多くは、日本にとって、日本人にとっての憲法論議ではないかと思う。それは、ある意味当然なことでもある。しかし、真に優れた憲法は当然のごとく、その国だけに意味があるのではなく、普遍性をもつものであるはずだ。
監督のユンカーマン氏が在日アメリカ人であるからこそ、日本以外の国の視点から語ることが必然であり、必須だったのだろう。
そして、このことが最初に観た時、重要な視点であると思ったと同時にこの映画に物足りなさを感じた理由でもあった。
近隣諸外国にとって、日本国憲法、9条があるからこそ、協調していけるのだと主張しても、改憲したいと望んでいる人、押し付け憲法だから、見直す必要があると思う人に、どれだけの説得力を持つのか、もっと明確な対抗するべき論拠が必要なように思えたからだ。
押し付け憲法だと言われる日本国憲法を押し付けられたのは当時の政府であって、日本国民ではなかった。少なくとも、国民を守りこそすれ、日本国民が押し付けられたという事実はない。ダグラス・ラミス氏が言うように、私たちには当たり前のようになっているが、この憲法によって、戦後60年、海外で「日本」の名の下に殺人を犯さなかったという事実をとってみただけでも充分のように思える。
民間による憲法草案も上申されたが、当時の日本政府によって無視された。日高六郎氏の言葉は当時の日本のようすをよく語っている。さくら子さんが映画とともに日高さんのお話を聞かれたのは羨ましい。憲法成立の経緯をとても丁寧に話されたようだ。単純に押し付け憲法だという根拠はないということがよく分かる。(参照『[『はるのかんたんふ』)
戦後60年たって、当時の様子を語れる人は少ない。できれば、映画にその辺のことをもっと盛り込んでほしかった。
当たり前のように感じていた憲法について、今までしてこなかった「不断の努力」をするべきときは来ている。
この映画の海外からの視点という監督の必然からなるアプローチは私たちの議論に一つのテーゼを与えた。そして、このテーゼは、日本人が、戦後60年を経過して、日本国憲法の果たしてきた役割について、また、日本国憲法そのものについて、私たち自身が問い直すという内から外へ向けてのアプローチを要請しているように思う。
受け取ったメッセージを大切にしたい。



#近所に住むちび太くん